えっとーあれから二週間たったのですね。あれ=「神話のとびら」
前回のブログはあれから一週間という話でしたが。
あいかわらず、神話の神様はいろいろギフトを下さっています。
さて・・・・
踊り手なので、重力のある世界に生きている限り〈重心〉を宝としてきた。
かの「土方巽は重力を手なずけた」という最高の言葉がある。
こんな素敵な言葉をわたしも受け取りたいものだ。詩的な批評、文学的な批評を手にするには、まだまだ未熟なのか。文学者がいないのか。昔の評論はそれ自体が文学だったな~。
「土方巽は重力を手なずけた」
これは本当だとおもう。あの踊り(舞踏)をみたら、ホントにそうだ。あれを超えた人を見たことがない。
やっぱり最初の人はすごいんだね。
わが心の師 大野一雄は「魂に導かれて」踊る舞踏家だ。
「肉体が先か 魂が先か」という詩的な問答も舞踏には存在している。
当時の舞踏家も詩的であったし文学者でもあった。
わたしは手なづけるまでは、ぜんぜん及んでなくて、むしろ間逆・・・・・
とにかくずっと〈重心〉を何よりも大切にしている。
そして、それが四六時中存在していて、そこを〈ゼロの位置〉と呼んでいる。
移動とともに〈ゼロ〉も移動しているので、
〈いまここ〉思想ともいえる。
身体と精神と肉体がゼロになっている位置だ。
だからこれを〈透明〉とも呼んでいる。
一応ひびきダンス用語。
だから
〈透明な情熱〉という公演のタイトルにもよく使ったこの言葉は
つまり
透明すぎるほど情熱があるということだ。
何にだろう・・・
踊りに、身体に、自身の芸術に
「透明な情熱は」音楽家と踊り手それぞれが自身の芸術に〈透明〉であるため、その二つの(二人の)〈透明〉がぶつかり合ったら、何が生まれるのだろうという試みだった。
さてさて、
〈透明〉にとっての最大のお邪魔虫は、〈思考〉だ。
そして、この〈思考〉は時に〈感情〉のふりをするというではないか!
だから、わたしは、踊る時に〈感情〉を持ち込まない。
〈情動〉だって感情だからもちろん持ち込まない。
作品の芽が生まれる瞬間は〈情動〉や〈情熱〉でいっぱいかもしれない。
だけど、作品を創りはじめたらそれは必要なくなる。
そして踊っている時は〈器〉だから、もっといらなくなる。
そんなものが器に入っていたら、大切なモノが降りてくる場所がなくなっちゃうからね。
この〈器〉だけの状態〈肉〉だけのあるいは〈身体〉だけの状態は本当に〈透明〉で気持ちがいいものだ。
パワーとヒーリングが同時に味わえる。
わたし自身は、DEEPに住んでいるので、いわゆる管制塔で眺めているような状態だ。
観客だといってもいい。自分が自分の観客でもある。
何でこんな話をしたかというと・・・・
三日ほど前に大妖怪展に行ってきましてね。(ちょっと飛躍しますが。。。)
わたくしのお仲間(妖怪たち)がたーくさんモデルになっていらしたのだけど・・・・
今回わたくしは、仲間の〈重心〉に目がいったのでした。
あきらかに
重力を手なづけていた!絵描きがすごいということだけど。ここはあえて、妖怪仲間をたてよう。
わたしもそろそろ〈重心〉を地軸まで突き刺すだけではなく、
手なづけていく時期に来ているのかな~と思った。
これができたら〈いまここ〉思想の一歩先にもいけるし=〈いまここにもいない〉とか・・・・
いろいろ楽しみ。
稽古しなきゃ。
「神話のとびら」で
ずいぶんいいところまでいけたので、
そろそろのつぎの〈とびら〉を開けようかと・・・・
これは、「テクニックのとびら」でもあり、「思想のとびら」でもあり
「精神のとびら」でもあり「肉体のとびら」でもあり・・・・
「宇宙のとびら」でもあるのだろうな。
ところで、〈gravity〉を手なづけたら、
DEEPはどこになるのでしょうね♪ 細胞かな。
楽しみだわっ。
つづく
ミカさんすごい❗️凄すぎる‼️
ここまで行ってるなんて、ミカさんの舞、やっぱり観たい。私も共有出来るかな⁉️
宇宙からも大地からもエネルギーを貰い、私自身が透明な筒になりたいなー。
園江様
うれしすぎるコメントありがとうございます!
ぜひ一度劇場でエネルギーの交流したいです☆
楽しみに機会を待ちましょう♪