おとことおんな その4(最終章にします。。)

もう飽きてきたな。このテーマ。。

なぜ、競技選手から舞踏家になったか・・・・・

 

そりゃずっと踊ていたいからさっ☆彡

 

権威がキライなのよ。競技選手だと、いつかは引退しなくちゃならないし(最近は引退する人少ないね。。これもあれだけど)、

引退後は嫌でも審査員になるし。審査員になるとえらそーになるし。表現者じゃなくなるし。

選手によっては審査員脅すやつもいるし。己の実力をまずは見てほしいけどね。

ってことで、ダンス以外のことで時間を奪われるのは嫌なのだ。

 

 

ダンスに関係しているようで、ダンスそのものに関係ないことばかりなんだもの。

芸術の世界もそうだけどね。人間社会がそうなのかしらって思ってる。

政治だって国民無視だし。芸術だって表現者無視だし。競技だって選手無視だし。福祉業界だって利用者ありきじゃないし。

日本人の特性なのかな。「業界」ってのがよろしくないのだね。何かを守るために手を取り合って「業界」にしたはずが、「業界」ができると横道それる。簡単に横道それる七不思議。

 

駆け引きみたいなのキライなんです。創造の泉を奪われる気がして。

 

 

それでも、プロかアマかってのは大事だと思っている。日本はプロを育ててくれない国だけど。

で、プロっていうと嫌味言われたりするけど。

はい。貧乏ですよ。なぜかプロは。日本はプロに対価をくれませんからね。

 

プロっていうのは、24時間そのことだけを考えている者のことだと思っています。

そのことだけ・・・・それぞれの芸術だけ、創造だけを毎日毎日模索して過ごしているのがプロだと思っています。

いわゆる「生活のため」が二の次で、とにかく生きるためにそのことだけを感じて考えて創造している人種のことです。

 

さてさて、「おとことおんな」のことにも飽きたので(だからいつも、つづかないんだなこのテーマのブログ)、本題に入ります。

競技ダンスはカップルダンスなので、まさに「男と女」です。誰も深く考えず当たり前だと思って表現も模索しないけど、一応「男と女」なわけです。(※気が向いたら、その1、その2、その3読んでください。)

で、競技種目に『Rumba』ってのがあるのですけど、

「Rumbaは愛の踊りです。」って言われています。

見たことないけど。

「愛の踊り」・・・・すごいな。愛の踊り見て見たい。

ところが見たことありません。ワタクシは少なくとも見ていない。誰もが軽く言ってるだけで、男と女がくっついてたら愛の踊りって言ってるだけな気がします。

 

あーやだ。たやすく「愛」なんて言わないでくれと、思ってます。

 

わたしはあんまり「愛」にあふれる人間ではなく、冷たい奴ですけど「愛の踊り」は見て見たい。

 

 

さて、なぜ舞踏家になろうと思ったのでしょう?

クイズ
1.男や女に飽きた
2.バッシングに疲れた
3.表現者になりたかった

正解は、3です。

 

「表現者」ってなんでしょう?

誰もが人生の表現者です。

でも、舞台上での「表現者」になりたかった。

自分の人生をさらすのではなく、たくさんのコトの「媒体」になって、自分じゃ無いモノに身をゆだねたかった。

自分に飽きた。のかな。。。え?現実逃避?

内観し過ぎた。のかな。

内観にし過ぎはないけどね。

 

 

 

引退がなく、年齢に関係なく、表現者でいられるモノを探してみた。20年くらい前ね。

どれも、しっくりこなかったけど、舞踏だけはしっくり来た!これだ!とすぐさま思った。

 

だけど・・・・・

「大野一雄」だったからだと、あとで気づいた。

「大野一雄」からさかのぼって舞踊史を紐解いてみたら、いろいろ魅力的な人がいた。

踊り系だけあげると、ニジンスキー、イサドラ・ダンカン、土方巽、ジョルジュ・ドン・・・・あとは、有名どころは結構見たけど・・・あまり・・・

 

イサドラ以外は男性ですね。。。

キューバでも男踊りに惹かれるワタシ。

男なのかな・・・

いえ、一応女です。一応っていうか、正真正銘女です。

 

でもあんまり魅力的な女性いないな~。こりゃヤバいな。芸術家としてやっていけるかな。魅力的になれるかな。

でも、別に「ヒト」じゃなくてもいいのだし・・・

ナンテ思っていた。

踊りにおいては、舞踏以外は全部ジェンダーが優先されていた。

舞踏だけがジェンダーを超えているように感した。

 

でも、「大野一雄」だったからなんだ。

 

いまごろ気づいたことは

舞踏も「男」と「女」の領域を超えていなかった。

という驚愕の?!事実。。。。。。。

 

それでも

ヒトだけじゃなくて、モノになれたり、空間や宇宙や光や音を表現できる身体は舞踏的フォルムだと感じている。

つまり、舞踏の身体ならばヒト越えの媒体になりうる波動を持っているということだ。ここ重要。

ツール次第だから。

 

これは、身体フェチ?のワタクシだけの感覚かもしれない。

どうやら、舞踏(とそれを取り巻く)の方々はそう思っていないらしい。男と女なんだ。この業界も。

大きな勘違いをしていた。15年も!

 

 

またワタシだけ?の孤独な宇宙?だったわけ?

 

 

ってことで、なんか途中っぽいけどおとこおんなシリーズ(←「と」が抜けるとなんか変?)

終わります。

 

次回はね~。

また表現の話なんだけど・・・・・

ブラックダイア・・・・についてです。

 

暴露?話です。。。

お楽しみに☆

 

あと、そのうちに「透明」な身体を手に入れるためにやってきた(やっている)「行」も公開しますね。企業秘密?だけど、企業じゃないからええわっ(^_-)-☆

 

 

 

 

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