踊り・・・LATIN好きなワタクシ 番外編(最終章)

自分と繋がるとか自分自分って言ってるけれど、踊りなんて自分研究をどんどん続けていないと踊れないモノだから。そんなところでうろうろしていたら表現者になれない。踊りは身体と自分を超えて空間に繋がらねばならないので観念想念浄化の日々なんだ。だから楽しい。自分と繋がるのがコワいなんてありえない。
人類なんて滅びてしまえ!わたしは虎になってやる~っ。
オーディション無事終了のおたけび☆
 
試合の前の日みたいな心境だったけど、そもそも権威側に立ちたくないので、表現者になったので、この辛さは本望だけどね。緊張したわっ。舞台に上がるまでは。
でも・・・・あいかわらず小心者でホッとした。
 
物理身体の極み、自分史自分神話に挑戦してみた。まだまだ未完成だけどね。そうでなくても物理身体人間?になっているのに、これで自分史をやったら、もうこれは念願の?機械になれそうでワクワクした。
モンタージュも神話も次なる課題がはっきり見えてきてワタクシは満足じゃ。課題が見えてきたことに満足・・・つまり、また混沌の日々を送れるということさ。
そもそも、客観の極みを教えてくれたのはLATINなのさ。厳密にはLATIN音楽で踊るということね。
あんなに熱いLATIN音楽を踊りこなすには、冷静かつ沈着かつ物理身体があってこそだからね~。
感情や思いに酔ってたら、音楽においていかれるし、わたしがいつもLATIN系の踊りを見たときに感じていた
「踊り手いらないじゃん。どいてチョーだい。ひっこんでちょうだい。」ってなことに
わたし自身も観客に思われる恐れありありだから。
LATINにおいては、
「踊り手いたの?音楽かと思った。」って観客に言われたいがために、日々やってるのさ。
不本意ながら(表出の仕方が若干・・・)の自分史の開示だったけど、きっかけとしてはよい経験だったぞ。
さあああああああああて!
Danza Latina に向けてしばし。
そして、来月はイベント続きでこれまた、パニック!

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です