怒涛の3月といっても、実はわたしは2月のほうが心身ともに?辛かった。
心身・・・・いや、身はなぜかいつも軽いので、心だけ辛かったということか。
いや、身が軽いと心は機嫌が良いので、結局は大丈夫だったのだとは思うけど・・・・
周囲のエネルギーが奇妙に似通っていて、勘違いやらなんやらが続出していることには、2月同様不可思議で不可解で、そりゃ不愉快でもあった。
あたしゃそんなに心豊かじゃないし、キャパシティも少ないし、人間的にできてる類ではないので、イライラとしていたことは確かだね。あいかわらずパニくってもいた。
ただ、自分自身のやるべきことは順調で相変わらず宇宙からのギフトも多かったので、このギャップが理解できなくて腑に落ちなくて、ついに信頼している方に相談をしてみた。
すると!!!詳細は書けないのだが、妙に納得する答えをいただき、腑に落ちて解決。
ホッとしたものだ。
それでも余震のようなものは、大切なあのイベント当日まであったし、
その後はもっと大切な(笑)公演もあったので、
いまおもえば、ワタクシすんげ~頑張ったな。
崖っぷちだったぜ。
終わったら、少し記憶も薄れちゃったので、もういいや。
・・・・・だけどね。
あたしゃステレオ化だけは、許容できません。。
内観をしてください。自問自答を怠らず。
さて、よく読んでいる?ブログがあって、そこから引用します。
>突き詰めて
「芸術は爆発だ」。これはあまりに有名なフレーズですが、太郎がずっと主張していたのは、日本(文化や芸術)を自分の目や耳や頭で見直せということです。
そして、事例として挙げたのが縄文土器でした。その渦に、呪術や超自然、恐ろしいほどのエネルギーを見た太郎。ここになにがあるか?と問いかけました。
太郎の見つけた縄文土器のエネルギーもさることながら、縄文土器にむしゃぶりつきたいような高揚感、感応力こそが彼の真骨頂だと思います。感じる力のすさまじさです。
そういう発見する目は、生来のものかもしれませんが、やはり、人知れず学んだ結果です。とことん突き詰めたからでしょう。
能力があるものだけ、とか、わたしなんか、平々凡々で、などと、謙遜してしまいがちですが、ときにそれは口実です。突き詰めてやってみるか、どうか。そういうことなんでしょう。<
いつ~もワタクシが言っていることと同じです。でもこれはステレオではなく、真理という意味で一致しています。ステレオ言葉の一致は根拠のない言葉尻の一致なので違います。
にしてもメール社会ってのは、言葉を安っぽくしてるんだろな~。
安易に「すみません」とか「ありがとうございます」とか嫌になってしまいます。
丁寧語だからいいんじゃなくて、丁寧語ナンテつかわなくても、心が身体がこもっていればいいんですよ。
心がこもっているかとか本心だとかは、行動でわかるんです。行動・・・つまり身体です。言葉の問題じゃないんですよ。
言葉と行動(態度)がとてもギャップがあったりします。バレバレです。
かえって嫌ですよね。
ほんとうは言葉も身体なんですよっ。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、できないものはできない。サボりたいものはサボりたい。
それを言って何が悪いのでしょう?
やります!とかすみません!とか言いながら直さない方が良く無いような気がします。
もう3月は終わったからいいや。すべて大成功でした☆
怒涛から一変。
凄まじい4月が始まっています。
お久しぶりです!みかさんのことをふと思い出して、ブログ拝見いたしました(^^)岡本太郎の縄文土器の話が出ていたので思わずコメントしました。確かにSNSは便利ですが、生きたコミュニケーションではないかなと感じています。ある意味、太郎は縄文土器を通じて縄文人と全身でコミュニケーションしたんでしょうね。縄文土器はまざりっけのない人間の姿があります(^^)私も縄文土器に出会った時、感動しました(笑)だから、身体が言葉ってことにもとても納得です。気づきをありがとうございました☆
わつ♪お久しぶりです!書き込みありがとうございます!うれしいなっ。縄文とギリシャ神話共通が多くてね☆
さて、本日一瞬故郷に帰りましたが、トンボでご連絡できませんでした。桜がきれいだったわ~☆またお会いしたいです!
足利に来ていたとは(^^)びっくりです!ブログも面白いですね♪
またお会いしたいですね~。またご都合よいとき、ぜひご連絡ください♪