ほんとに。人生ってのはあっという間なのに、気づきを得るのに何十年かかり、それを実行するのに何年かかかり、
気づいた膨大な内なる情報を、表出するのに多分永遠に時が必要となる。
なかなかはかどりません。
この度、マヤコフスキー関連の公演を二つ終えて、特に先日のシアターΧ提携公演
マヤコフスキー 人間 を終えて、いままでにないほどの〈いろいろ〉を受け取っています。
内側からも外側からも。
そして、これは表現者という生き方が少し板についてきた、10年ほど前に、なんとなく気づいた自分の使命・・・というとカッコつけすぎだな・・・身体的特徴とでも言いましょうか。
いままでは、現象として捉えていて、なんども似たようなことが起こるので、自分で紐解き、そのうち気づく観客も現れ、だからといって自分ではどうにもできないので、わたしのやり方で身体を突き詰めていく。
レッスンを通して、伝えることをずっとやってきたけど、伝わらないことに気づき、孤独にもなれ、むしろ快適空間=身体の内なる宇宙に棲家を構えた。
やがて、時は巡り、ソロ公演を専門としながらも、メンバーを使って作品を創る機会に恵まれる。
自分にとって信じがたいことだったけど、初めて他者に、表現の場で自分のメソッドを体現することができた(「奴婢鳥を待ちながら」)
メンバーはお見事にわたしの身体メソッドを全うしてくれて、舞台は成功した。
しかし!ある現象が起こる。
いままでは、ソロ公演だったので、観客とわたしの関係のなかで起きていた現象が、出演したメンバーに起こった。そして、観客よりも表現をしたメンバーのほうが、反応がマイナスに大きく出て、分裂が起こった。
わたしは、いままで観客との中で起こっていたことになれていたので、原因はわかっていたけどマイナス効果にになったのは初めてだったのでちょっと驚いた。
そういう意味では、観客ってやっぱりスゴク腰が据わっているんだ(椅子に座ってるという意味じゃないよ 笑)と思った。
表現者は甘いんだな。
自分が舞台を踏むうえでのモットーの一つである↓
「観客は壮絶な自身のドラマを背負って劇場に来る。表現者はその観客の前で舞台に立つのだから、生半可な心持(=身体)では観客に申し訳ない」
つまり、甘かった面々は残念ながら、そうとは気づかず逆切れ状態になった。
物凄い浄化作用だったと思うのに、ちょっと残念。しかも天晴に頑張ったのにね。
さて、まあ、それはそれ。それは個々の魂の筋トレだから。
氷の心のわたしは、先へ行く。
その後メンバーを使ったのはショート作品だったので、現象は起きなかった。
さあて、今回です。これには自分でも驚きました。
先日の「マヤコフスキー 人間」シアターΧ提携公演では、
ここ数年、「神話のとびら」に代表される身体のモンタージュ法を駆使していた作品を、360観客という、ダンサー生命をかけた公演を終えたことを機に、少しお休みして違う観点からの身体に挑むことにしました。それが「マヤコフスキー 人間」だった。
その少し前、ブルーノシュルツの「鳥」をショート作品にした時から、その試みは始まっています。
なににおいても、最初というのはあるもので、それを怖がっていたら開けていかないから、ワタクシは飽くなき挑戦をし続けるわけです。
マヤコフスキー 人間では、
ある意味で、自分にとってのタブーをやった。
わたしは自分の既成概念を壊していくのが好きで、まだ見ぬ宇宙を永遠に探り当てていくのかもしれない。
自分の体験から得た、タブー=決まり事
メメメの公演の時、暗黒舞踏家の女性がわたしの公演をみて
「自分がやってはいけないことを知っている。プロだと思った。」
といってくれた、あの「やってはいけないこと」はやっていないんだけど、表現上のタブー・・・というか嫌いなことと言ったほうが良いかな、それをことごとくやった。
こういうことにはエネルギーがいつもの倍以上必要とされる。いままで以上にストイックに取り組んだといってもイイかも。倒れるかと思うくらい、パニック状態にもなった。本番数日前。
そして、幕が上がり、公演は無事に終わった。
賛否両論はいつものことだけど、観客は相変わらず素晴らしく、鋭い目線でまたまたこちらがインスパイアされるような感想がたくさん届いた。
きょうで公演から約10日近くなるのだけど、ヒシヒシとわかってきたことがある。だけど、これは口に出していいのだろうか・・・・
またバッシングの嵐にあいそうだ。
しかし、こういう事実(事実には間違いない)は、わたしが望む世界平和にスゴク有効な気がするのだけどな~。
世界平和ってのは大げさかもしれない。ワタシが望むのは、いじめや意地悪や、嫉妬や優越感や嫌味なんかが無くなる創造溢れる世界のことなんだけどね。
悩みはそれを生み出す悩みがあればいいわけだから、光と闇はちゃんと仲良く同居してていいと思う。
意地悪が比重として多いのが残念だと思っているから。
そして、大抵そうなるのは、自分をさらけ出していないことが原因なのさ。
ホントに素敵な自分をね。
ああ。横道それました。いつもの如く。
そうなんです。今回の公演で、いろいろ嫌味も言われたけど、もっと根底のところで、
わたしは新しい?というか同じなんだけど、少し範囲が広がった?方法で身体を使えたようで、それが感度の良い繊細な観客には突き刺さったらしいということ。かえって伝わりにくくなるかもしれないと思っていたことに手を出したのだけど、思った以上に伝わったのかもという驚きがある。まだ少し信じられないくらいだ。
素晴らしき観客。ありがたき観客。観客ありきの公演です。たとえ一人でも。
これからも観客と共に向上していきたい。でなければ世の中は変わらない。
なので、これからも、身体に引き籠り踊りつづけますんで、よろしくお願いします。
なんだったのかは、もう少しまとめてから責任持って書きます。なんどもブログに書いてるし(はっきりとは言ってなかったかな~)、レッスンや雑談では言ってるのだけどね。
響かないだけなのさ☆というか信じたくないのかもしれない。スルーされることは多い。
とりあえず、身に覚えがある方々と歩いていきたいです。
ご来場ありがとうございました。
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