10年ほどまえまでは、公演のテーマがやってくると、それにもとづいた言葉たちがやってきて、詩のようなものを書き、
そこから身体に移行するというプロセスをたどっていた。
言葉たちが絵画のようにわたしの周囲に渦を巻き、四六時中言葉達と戯れ、やがて絵画のようなヴィジョンに変わる。
いよいよ身体へというころになると、言葉たちは沈黙を保ち、じっと作品が出来上がるのを待っていてくれたものだ。
湧いてくるイメージは絵画の様でもあるのだけど、わたしが絵を全く描けないので、2次元や3次元空間に、自分のヴィジョンを表出できるのが唯一言葉だったというわけだ。
自分にとっての言葉は、踊りであり、音楽であり、色彩でもあった。
一体なにがどうしたことか、いつからか言葉を綴れなくなってきた。
喋りすぎたのかもしれない。わかってもらいたいと思っていたのかもしれない。
ちょっとくどいけど、理路整然と身体のことを説明するのも、長く長く培ってきたので、得意な気になっていたのかな。
その分、言葉の妖精たちは、退屈になったのか、あまり現れなくなった。
久しく詩を書いていないな。
小さい時から言葉と同居していた感があり、
学校へ行くより本を読んでいるのが好きで、本を読みたいために学校を休んだり、詩を書くために引きこもったりしていた。
わたしのなかに宿っていたブラックダイアが、苦しくて苦しくて、呼吸をするために言葉を放出していたのかもしれない。
たしかに、ブラックダイアがわたしのなかに宿っていた時は、切れ目なく言葉が内側から溢れだしていたな。
さらにまた別の面では、そのブラックダイアをどうにか壊して、ホワイト、シルバー・・・・色はなんでもよいのだけど・・・光の粒子に変えたくて、足掻いている自分もいた。
やがて、長かった日々もやっと終わり、夢は叶った。
つまり・・・ブラックダイアがわたしの身体から消えていった。
もうそれは、バラ色の日々、夢にまで見た日々、自分の内側から、ワクワクが予告も無しに湧き出て来る日々。
全く違う日常が訪れた。
わたしは別にブラックダイアを憎んではいない。ただ、枷になっていたので、どうしても壊したかった。重すぎて動けない時もあった。ありとあらゆることをやったけど、なかなかうまくいかなかった。ちょっとヒビが入ったかな?と思えたときでも、すぐにまた元に戻ってしまった。真っ黒な世界から来る日も来る日も光の世界を想像していた。
それが、消えた。
もう自分で自分の足を引っぱることは無い。
それは、思った通り、素晴らしい世界だった。もちろんいまでも。
ただ、なんででしょ。言葉たちが、現れなくなった気がした。
あまり詩が書けなくなった。
ブラックダイアが在った時は、解放されたくて、呼吸を整えるように言葉を綴っていたのかもしれない。
さて、ブラックダイアが消え去ったわたしは、もう言葉を綴ることができないのだろうか・・・・
まあ、それもワルくはない。
そのかわり、言葉の達人と出会う機会に恵まれ始めた。それはそれは、キラキラに文字を綴る素晴らしい方々ばかりだ。
わたしは言葉ではなく、身体の宇宙に棲家を持つ者なんだと実感する。
それでも、言葉たちはわたしの親友であり、先輩であり、先生でもある。
じつは、踊りでもあり、音楽でもあり、やはり身体でもあるのだ。
そんな中、漠然と描いていた、また別な夢?(夢多きオバンなので)が、遠くから近づいて来るような気がしてきた。
変わらないために変わりつづける・・・・・
次なる夢を実現するためには、この変化が必要なのかもしれない。
長く長く取り組んできた自分の身体から教わった宇宙のはなしが、
これからは、周囲の言葉の粒子と共に、新たな次元へ移行できるなら、それはもう、最大のギフトだ。
ありがとうございます☆
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