シアターXカイ創立25周年記念 / 誕生祝い 『詩の朗読 ルナ・パーティ』
に参加します。
このような素敵な機会に踊らせていただけるのは幸せなことです。
児島宏子(ロシア語翻訳家・著述家)withひびき みか(ダンス)
ロシアの詩人 B・オクジャワの詩をロシア語と日本語とダンスで。 オクジャワは詩や小説等を書き、吟遊詩人でもあった。あのヴィソツキーの師匠 でも。1997年6月12日、公演中のパリで風邪がもとで客死した。
児島宏子さんという翻訳家の朗読にて踊ります。
児島さんとは、まだ数回しかお会いしておりません。初回はなんと!
にいらしてくださったのが機です。
といいましても、アフターミーティングで非常に興味深いコメントをいただいたことで、ワタクシの印象に深く深く残っていたのですが、その日はたくさんの方々に囲まれ直接お話をすることができませんでした。
ので、この日は初めてといっても、ご挨拶すらできていない状態でした。
短いコメントでしたのにさりげないながらもロジックに富んだ言葉でしたので、その後ワタクシのほうで押しかけたのでした(^^;)
昔から、興味を持つと、押しかけるクセがありまして、有名無名大物そうでもないなどなどワタクシには関係なく、
お話や文や何やら、自分に響くとその実態に触れずにはいられぬ性分で、以前は農家さんを追いかけて四国や九州にまでお話を聞きに行ったこともあります。
性別問わずなので(ワタクシ自身は前衛芸術の身体表現者なので、日常でもついついジェンダーを忘れてしまうのです。)、勘違いを引き起こす場合も時折ありますが、ワタクシの職種からお会いする前に心しておいてほしいものです。。
話がそれてしまいました。
さて、なぜロシアなのか・・・・
ものごとに意味はない、それは精神諭での鉄則ですね。
はい。意味はあとからついてくる。これは、身体表現創造でもそうです。
先に意味はありません、意味を考えてから創作なんてしません。
ホントにあとからやってくるのです。作品が出来上がった頃や、公演が終わった頃に。
細かくその実例を挙げると長くなるので今日は控えますが、
マヤコフスキーシリーズを機にロシアに魅せられております。
一度だけ行ったことがあります。それは、競技選手の時ですから、1999年くらいだったかと思います。
クレムリンで招待試合がありまして、日本代表で行きました。
空港、会場、試合、リセプション・・・・などなど、忙しいので、周囲を見渡す時間もあまりありませんでしたが、一応地は踏んだことがあるというわけです。。。
自分にとっては遠い国だったので、いま思っても不思議です。
なぜ遠い国と感じていたのでしょう。
寒いのが苦手・・・・みたいな稚拙な理由かと思います。すみません!
しかしながら、ロシアアバンギャルドの詩人マヤコフスキーと出会ったことで、展開している一連の自分ブームは、
紐解けば紐解くほど色彩や何やら好きなモノばかりで参っています。
そんな中、この度のシアターΧの25歳の誕生日は、
ロシアの吟遊詩人と申してもよろしいでしょうか、ブラート・オクジャワの詩に触れることができ、またその流れでピロスマニを知りこれまたインスパイアされっぱなしです。
どうぞみなさま、平日の午後ですが、お運びいただけましたら光栄です。
七変化ひびきみかを見て見て下さい。最近の感じと全く違うものが現れてきました(≧▽≦)
わたしにとってのロシア・・・は、まだまだ続きます。
最近のコメント