緩和ケア病棟にて(カミングアウト?!)

公演間近の身の上にしては、珍しく饒舌なワタクシ。

最近そんなかもね。人生も半分を過ぎると、言い残していることが気になってくる。

いえいえ、わたしは、結構若い時から言いたいこと、伝えたいことを言ってきているから、悔いはないけど、

伝わっていないという現象に対しては、若干悔いがある。

 

さて、この度の公演に関係しているからなのかわからないけれど、このところ思い出す病院ボランティアダンスのこと。

 

ある病院の緩和ケア病棟の精神科医の先生が、わたしの舞踏公演を見に来てくださったことを機に、緩和ケア病棟でダンスショーを行うという素敵な機会に恵まれた。そのころ、ちょうど「貧乏だけど、身体は元気、ってことはボランティアならできるかも」と、仕事の営業には一切走らないくせに、ボランティアに明け暮れていた時ありました。結局貧乏はボランティアさえもできないってところにぶち当たっているのですが。得たものは大きいのでお話しします。

一回目に行たっとき、粋なおじさまの一言が、まだ響いている!「ここは病院だよ(^^♪」

そうです!その言葉を待ってました♪

FB記事にも書いたけど、わたしは、施設や病院や路上で踊る時も舞台で踊る時も、○○向けっていうのはやらない。自分が全身全霊でできることを全身全霊で生きてる観客に提示し、エネルギー交換するのが目的だから。発表会との違いはココにある。だから、命がけで稽古したものじゃないとね。

で、まあ、病院でもこんな感じの踊りを踊りましてね。

看護師長には警戒され、医師や患者さんやご家族には喜ばれました。誰が一番力があるかで、次があるかないかになるという、利用者ありきでないシステムは福祉も芸術も学校も同じですね。日本ならではなのかな。

さて、それでも二回目も実行出来ました。同じ方はいません。。緩和ケア病とは、余命一ヶ月の方が過ごされる終末医療だからです。

この時も大変喜ばれました。これが最後のライヴになるとご家族にも喜ばれました。

そして・・・・迎えた三回目

この日ほぼ同時刻に、わたしの偉大なる、最強のライバル 佐藤明彦

が天に召されたのでした。もちろん違う病院です。ちょうど踊り終えた頃、訃報が入りました。

 

緩和ケア病棟ダンスは、三回目でおわり、この後は大学病院の緩和委員主宰で一度踊りました。

精神科医の先生も、大学病院の精神とは程遠い、いろいろに巻き込まれて、真に生きるのは難しそうでした。

真理を持って生きることが難しい社会って何なのだろう。人々は何のために生きているのだろうといつも疑問に思います。

 

競技選手のときも、競技選手ありきじゃなかったし、ダンスが好きな選手ばかりでもなかった。

 

ワタクシは、単に単純に単細胞的にダンスが好きなだけです。

だから追求する。身体の宇宙にこもる。発見は止むことなく、興味は尽きません。

 

さて、今年もたくさんシアターΧで踊らせていただきました。

ひびきみか 今年のシアターΧ劇場公演は「幻花」 で最後となります。

踊りは、12月31日まで踊っていますけど。

 

劇場のひびきを是非見に来てください!

このHPからもお申込できますが、

こちら一般予約フォーム からもご予約いただけます。

 

では、劇場にてお待ちしております。

 

 

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