ふしぎなくらい、レッスンの度に奇跡が起こるので、これはもう奇跡なんかじゃなくて、普通のことなんだと認識しました(^_-)-☆
仲間のみんなは、酔っぱらいのようなただのハイテンションにもならなければ、奇をてらう行動もせず、ただただ踊ることが楽しい。それでいながらクオリティを上げ、場にダンス仲間が増えると相乗効果で、身体的にできなかったことができるようになりお医者さんもビックリの身体能力向上がおこる。
ダンスをしていれば当然な現象であり結果であります。
わたし自身もそうです。
仲間のみんなへのレッスン歴は12年、
一般の方々対象では(プロアマ含め)30年以上のキャリアを持ちますが、
健常者の笑顔心底来る笑顔を見たことがないです。作られた笑顔は見たことあるけど、後はほとんど不満顔。
そして、「踊りたーい!」なんて言葉を聞いたこともありません。
同じメソッドで展開しています。なぜなら、もともとはわたし自身のためのダンスメソッドであるからです。
競技ダンスのチャンピオンを獲ったのもこのメソッドですし、いまもなお踊り手として活動しているのもこのメソッドを自分自身が活用しているからだと感じます。
仲間のみんなも何時もハッピーなわけではないのですが、親御さん曰く、ダンスの時の笑顔は他では見られない笑顔なのだそうです。
そうですよね。ダンスはそういう事の為に存在している「身体の具現化」=魂の具現化なんですから。
つまり、生きる・・・・この肉体を持っている醍醐味のひとつなんですから。
なんどもいいますが、
わたしのダンスメソッドは、障がい者向けに創ったのではなく、自分自身のダンス向上のために創ったもので、
ボーンメソッドもより心身の一体化で自分自身が踊れるように創ったメソッドでした。
だから、障がいを持つ方々だけに効果があることが不思議でならない。
なぜ、五体満足な方々は不愉快なんだろう。身体が嫌いで、身体おざなりで、。精神論ばかりで、言葉さえ身体から離脱して、身体の欠落した状態化した、まったく心のないただの意味(それも表面の)だけで、暴走するのだろう。≪つもり≫とか意識の振りした≪心がけ≫だけで、身体に落とし込むことをせず、時に逆切れしたり、感情論ばかりに走るのは何故なんだろう。ダンスだし、ダンスでなくてもひとは身体があるから生きているのではないだろうか。
理屈だけで生きられるのなら見てみたい。
身体は一体どこに行ってしまったのだろう。
そんなに、気分・・・・・つまり、感情が大事なのだろうか。感情は一体どこにあるのだろうか。身体なくして感情はあるのだろうか・・・
ラティーナスやぽれぽれ、きゃべつ、ぽれチャチャ、たかしくんetc.
たくさんのダンスチームができた。彼達はライバルとでさえ、相乗効果で自身を向上させていく。身体に目が向いている。自分自身に目が向いている。
身体から離れたりしない。
最近のコメント