昨年は、もうひとつステキなことを実感した。
つづけることの大切さを感じる経験をたくさんした。
《つづける》・・・mustでもforでもなく、ライフワークというか、自然の流れというか。
そもそもボランティアというのはそうでなければつづかない。
喜んだ顔が見たいとか、喜ばれてうれしいいとかは、結果であって、別に大した反応が無くても(拒まれない限りは(^^;))、そこに場があるから行く。
今年(昨年末)の越年応援ダンスショーは、いままでで一番盛り上がった。
そして、なんとも豊かな心のおっちゃんにしあわせをいただいた。
とにかく寒かったし指定管理化になってから、テントもないし火もたけないから、気温の寒さだけでなく気持ちも寒いんだ。
で、踊る前に「これから踊るんで応援してね!」とおっちゃんたちに声かけたら、「ほら、月がきれいだよ。満月だよ。踊りを応援しているよ。」ですって!
ふと見上げると、さっき見た時は暈がかかっていたのに!パーンとわれていて、くっきりと月が出ていた!
そのおっちゃんは、「ダンスがあるんだって、ダンスが始まるっ。ダンスだ・ダンスだ。」と嬉しそうにつぶやいていて、炊き出しにならばなかったので、心配になったけど(^^;)「もうすぐダンスが始まるよっ!」って嬉しそうだった☆
よく見かけるおっちゃんも、わたしの記憶ではいつも目利きの目で沈黙して見ていたのに、今年は始まる前から声援をくれた。なんかうれしかったなっ♪
そして、もうひとりスゴイおっちゃんがいた!Showがはじまると所々で声をかけてくれるのだけど、そのタイミングが絶妙で、振りにたいしてというよりも、明らかにLATIN音楽の醍醐味のところ(ツウしかわからないような絶妙なタイミング)で、声がけしてくれて身体も揺らしているので、こちらも踊りがさらにノリノリになり相乗効果を発した。まさに、コール&レスポンス!
今年は、秘密の新ナンバーも導入。大好評でした。これも十八番にしよう!なかなかいいアイディアだったな(^_-)-☆
そして、Mi Musicaの例のシーンで、月を愛でていたおっちゃんのところにアプローチに行くと、声援の代わりに月を指してうなずいてくれた。
まるで「月が褒めてるよ。応援しているよ。喜んでいるよ。」とでも言っているように・・・
豊かな心に、胸がキュン。
わたしは、あまり心が豊かじゃないので、心が豊かな人に出会うと、誰よりも感動しちゃう。
踊りっていいなっ(^^♪
《つづける》ことでの実感は他にも、12月スタジオ近くの老人施設で踊らせていただいた時のこと。
今年は、結構短いスパンで8月だっけ?9月だっけ?に踊らせていただいたので、昨年と合わせると3回目になるのだけど、なんというか、もう知り合いのオーラで暖かく迎えてくれて、こちらでもつづけていることによる、信頼関係を感じた。そして、何気に鈴を振るタイミングも、椅子に座ったままとはいえ、みなさんのダンスそのものも上達していることに驚き!
コール&レスポンスがLATINの形式だけではなく成り立ってきて、とっても充足感がありました。
現代人は、リアクションがなく、当方のレッスンでもほとんどレスポンスというかリアクションがなく、手ごたえを感じない(不満でも満足でもどちらでもいいのだけど)ことが多いので、こういうリアクションは、ラテンソウルダンスの檪ちゃんやぽれぽれやラティーナスなどなど同様、場の波動がスゴク凝縮されて活気にあふれる。相乗効果も生まれやすい。
そして、おっちゃんたちとの関係もじじばばとの関係も、つづけることで得た信頼関係なんだと感じた。
《つづける》って、自分で決めたことでも時に難しいこともあると思うから、人に言われてやったのではつづかないのもわかるな~と、妙に物分かりが良くなった(^-^)
頼まれたからやるとか、言われたからやるというのは、ボランティアや手伝いにはあまり向かない精神だ。
コミュニケーションは、言葉がないほど出来上がるというのも皮肉なものだけど、現実だからしょうがない。
やはり、今年のテーマは《言葉も身体である》ということへの言及だな。他者に対してはもう言及しないけど。
「裸足のダイヤカッター」の再演を重ねることで発見もたくさんあったので、表現における《言葉》のいわば探究と表出ですかね。あえて《言葉》にすれば(^^;)
ノルウェー オスロ グルソムヘテン劇場は、そういう意味でも、《身体》集団なので楽しみ!
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