あらためてボーンメソッドについて

このところ(以前からそうなんだけど・・)言葉が溢れてきて止まらないので素直に従うことにした。
ここ一年ちょっとストーキングが怖くて(男じゃないよ)、書くのをためらっていたのさ。

【言葉】というものが持つ運命なのか、言葉ってのは受け手の概念で、真逆に取られることが多々ある。悪く受け取ろうとすればいくらでもできるし、反対にそれ以上の意味をつけてしまう場合もあるし、文表面だけだと軽いし。

いうまでもなく、わたしの文章能力のせいでもあろうが、言葉のプロたちは、大変な仕事だなと尊敬する。

まあ、音楽も生まれ出でてしまうと受け手の概念で料理されるし、絵だって、何だってそうだから(踊りナンテもっとひどいよ)、その道のプロは、わたしも含めて苦悩しながらも覚悟はできているのだと思う。

さてさて、ボーンメソッドの話ね。っていっても身体論をブログでたらたら書くわけにはいかないので今日は外枠の話です。何度もいっちゃてるかもだけど。

ボーンメソッドについては、最初はとにかく興味持たれる方が多いのだけど、表層をなめただけで興味を失う人がほとんどです(笑)
これもわたしには想定内なのです。

結局世の中にある一般向けの体操・・・というよりもその伝達法がありきたりで、なかなか身体の奥には届かず、そういったものは上辺をなぞるナンチャッテとしては分かりやすいので浸透していくし、効果も理にかなったものならそれなりに少しはあるだろうから、それもありだとは思うけど。そういうものにどうしてもボーンメソッドは負けるのよ(爆) もち、勝ち負けではありません。

わたしがなぜ、迎合しないかというとそれには、しっかりとした理由があるからです。これが今日の本題(前置き長すぎ。。)

わたしが思っている以上に世の中は、刷り込まれた人であふれている。特に思考パターン。十人十色のはずが、十人一色と言っていいくらい同じ言葉で批判する。もし、こちらが驚くほどのボキャブラリーでそれぞれちがった表現で批判なりをしてくれたならすごくうれしいのだけど(それこそ待ってましただ!)、オンリーワンの意見を言っていない。分かりづらいとかそういうことで非難する。
しかし、ボーンメソッドほどわかりやすいものはなく、なぜわかる人が少ないかというのは別なところに原因がある。

意外に身体に目が向いていない。

でもわたしはまだ人間の意識の深さを信じている。開花するときを待っている。自分ももっと高めたい!何よりそれだ!
確かに、世の中は外のことで忙しい。社会だけでなく、人間関係だって自分以外は一応外だ。自分を通して相手を見ればいいけれど、そんな余裕がないくらい外と交わらねばならない時間軸があるようだ。(わたしはないんだよ・・・ふしぎにも。。。。。)

話を戻すけど、そういう人が指摘する、分かりやすさに耳を傾け、そういった説明をしたとしよう。

そうするとそれは、もうボーンメソッドじゃなくなる。

ボーンメソッドじゃないものは他にたくさんある(もちろんいいものも沢山さんある)。だけど、ボーンメソッドじゃないものをわたしが教える必要はない。
そこが理解してもらえないためにわたしの「コダワリ」だと片づけられてしまう。

わたしはコダワリという言葉が嫌いだ。軽く感じる。プロがこだわるにはそれ相応の経験と研究とバックグラウンドがあるからなんだけど、クレームをつける人はそれを知らない。プロ同士であればそこは暗黙にわかる。何か理由があるはずだとまず敬う。
そして意外に思われるかもしれないけれど、プロは頭が柔らかい。探究心が旺盛なので、ある真理が飛び込んで来た時に受け入れる柔軟性をもっている。そうやって、それぞれが独自の手法を壊したり構築したり、インスピレーションを得たり有形無形のものを取り上げて出来上がったものだからだ。もちろん経験も含めて。苦い経験も。

こういった行き違いは、なにもボーンメソッドだけに限らず、ビジネスや教育やいろいろなことで起こる。

ビジネス肌の人から「ボーンメソッドじゃなくてもいいから、わかりやすく、人が飛びつくようなもので、大勢を集めて、集まったところでボーンメソッドを教えればいい」と言われたことがある。ダンスレッスンでももっと上辺でいいから人を増やしてから本質を教えればいいと。

これはおかしなことに、わたしがアスリートだった時、まだチャンピオンになる前、先輩の選手から「自分のやりたい踊りは、チャンピオンになってからやればいいんだよ。それまでは、ジャッジに気に入られるような踊りをすればいい」と。

バッシングに困っていた時だから(バッシングの人生さ 笑)、もちろん柔軟なわたしはやってみましたよ。でもすぐにダンスが嫌いになって、これじゃ元も子もないと思ってすぐさまやめました。やはり独自のスタイルで有無を言わせぬほどの実力をつけたほうが良いと判断したのです。

ちなみに、その先輩はチャンピオンにならなかった。
それから、ビジネスや教育者と言っている方からのアドバイスもなぜ聞かない?(聞く気は満々なんですよ)かというと、そこには理由がある。

忠告したり、悪評広めたりする方の顔がみんな同じ(なぜか同じ顔)で、幸せそうではないからなんです。しあわせそうじゃない!!!そのやり方をやっても幸せじゃないのじゃないの?????
わたしが他者からの意見を自分に入れるか入れないかを判断するときの基準の一つにこれがある。特にわたし自身が掴んだ真理をひっくり返すような意見に出くわしたとき、ここが一つの目安になります。わたしは真理に近づくため真理伝達の最良の方法を手に入れるためであれば、一見反対と思われる意見も取り入れる所存でいつもいるから。

でも、意外にそういった意見にバックグラウンドがなく、ただわたしがキライとか(笑)、嫉妬?とかそんな理由なんです。否定にも哲学がほしい。

こういう仕事をしていると、理性がないとか、社会性がないとか、好き勝手言われ続けます。

でもそうおっしゃっている方がキラキラしているのを見たことがない。わたしは表面的な顔にはだまされません。表面的な顔で批判はされるけど(不細工はゆるしてほしい 笑)

ほんとうにしあわせな人って、ごくごく個人的なしあわせをつかんだだけでも、周囲の人みんなをしあわせにできるエネルギーを持っています。そんな方がわたしに「おいおいもちっと簡単にウソでもいいから伝えちゃって、人集めちゃえば」っていったら、やってしまうかもね(爆)

でも、そういう方はまずそうは言わないです(笑)

あ・・・・なんか途中っぽいけど、この辺で終わりにしておきます。

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