仲間のみんなを子ども扱いしている人は多い。
わたしが一緒に踊っている仲間はみんな大人だよ。
確かに可愛い。あたしたちは、確かに可愛くない。同じ年齢でもね。
でも、それって見た目でしょ。
さて、わたしは、どんな人の中にもある《カッコイイ》を見つけるのが好き。得意。
あ・・・・言っておくけど、カッコいいフリをしている人はカッコ悪いからね。仲間のみんなでそういう人はいないけど。
お遊戯のようなダンスを子どもたちにもぽれぽれの仲間にも創らない。
音楽もLATINをベースに、プロ志向の曲を使っている。
彼たちのカッコよさにピッタリだし。
「踊るの好きですね。」とか「リズム感がありますね。」とか(そもそもリズム感って何だい?)、そんな風に簡単に仲間のみんなの能力を封じ込めないでほしい。
そんな健常者の審判なんて、とっくに飛び越えて、仲間のみんなは身体そのもので聞いて踊っている。
ビートがあるじゃん。
障がい者だから褒めてるんじゃないのに、そう思われてしまう差別意識も残念。
わたしたちも彼たちから盗めるものたくさんあるのに。
上から目線で褒めないでおくれ。
いま、3・4歳の子どもたちともダンスしてるけど、子どもたちも《カッコイイ》をたくさん持っている。
カッコイイ=英雄的 って言ってもイイかな。とにかくカッコいいのよ。
そこを見つけてダンスに生かしていってるのが、ふしぎな友達プロジェクト。
趣意書にもちゃんと書いてあるのだけど、「プロをも唸らせる瞬間」がたくさんあるのさ。
ダンスや音楽のプロってだけじゃない。医師や親だってその道のプロだからね。
わたしが、敗北に感じるのは(勝ち負けという意味じゃない)・・・無念といったらいいかな。
それは、
障がい者だからスゴイですね的な称賛と笑顔を第三者からもらったときが、いつも悲しくなる。
そうじゃないでしょ。そこじゃないでしょ。
ヤバイって思ってほしいわっ。しまった、そうすればよかった。と思わないのかな。わたしはそんな発見ばかりだけど。
癒しの存在なんかにも利用しないでほしい。サシで向かい合ってほしい。
《カッコイイ》を持ってないひとはいないと思う。
ホームレスのおっちゃん(おっちゃんはカッコいい人多い)でも、子どもでも、障がい者でも。わたしたちでも。。。。
それから・・・・・・・
ちょっと(どころか、だいぶ)話変わるけど、、、、、、
わたしの親愛なる元ダンスパートナーの遺言・・・・というか伝言・・・・が、時折フィードバックしてくるのだけど、その都度こちらの受け取りも変わってきて、つくづくさすがだと思わざるを得ない。
つい最近ちょっとまた残念がことがあった時、そのメッセージが帰還してきた。
まったく違う答えが自分の中からも生まれた。
やっと腑に落ちたと言ってもいい。これで、もうこのメッセージが帰還してこなければ、わたしがやっと理解したということになるのだろう。鈍くてごめんよ。あなたは流石だわよっ(と、ライバル意識が消えないワタシ。。)
きょうはこの辺で。
あながち関係ない話ではないんですけどね。
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