このところ仲間のみんなの相乗効果には目を見張ることが多い。
ある時間、ある空間で一緒にダンスをするというのは、言い換えればその時社会が生れるということ。
ひとりっきりなら社会は生まれないけど、二人以上集まれば社会が生れる。
そういった空間で、ラテティーナス+YUSO&ATSUSHIや、今日素敵な相乗効果があった実習所ぽれぽれのIくんとMくんもそうだけど、
ライバル意識や共有が嫉妬や卑下(自己否定)や協調ではなく、アイデンティティをもったまま、向上の方向に行く姿をここ最近特に目にする機会が多い。
強要していないのに一体感がでたり、個々が楽しんでいる波動が融合したり、自然に応援したり助け合ったり、刺激されて奮い立ったり。
仲間のみんなはとても美しい社会を見せてくれる。
褒めても素直に喜ばない。指摘されるのは不愉快。聞いても返事がないというのは、健常者の現象。
言葉の理解が原因だとしてら、きゃべつはわたし達と同じ言葉の理解力だけど、彼たちは厳しくするとギラギラと目を輝かせ褒められると素直に喜び自身の向上につなげていく。
一方、
わたし達は人を恐れ、疑い、自分を卑下し、自我がなかなか解放されない。
どうしてなんだろうと、いつも思う。
彼たちから学ぼうという企画もなかなか上手くいかない、ついつい慈悲の目で見てしまう。スゴイと思うならどんどん盗めばいいのに盗まない。
どうしてなんだろう。自分らしく生きることがどうしていけないのだろう。ストレスフルだな~。
健常者が幸せじゃない世の中は、虐待や差別が無くならないと思う。社会のせいではなく、社会を創っているのはわたしたちなんだという自覚がないのかもしれない。自分が直接いじめや差別をしていないからと言って関係ないわけではない。
このところとてもそれが気になる。ダンスはしあわせのツールであるし、祈りでもあるし、よい運動でもあるのにな。
一般社会ではこういう波動がなかなか生まれない。↓
動ける喜びを実感してほしいな。ほとんど物理的には動けないともくん↓も動ける喜びをダンスでは最大に表してくれる。彼がどのように表してくれるかわかりますか?
手が暖かくなるのです。それが彼の表現。彼のソロダンスシーンです↓
喜びのパワーがあふれる社会になりますように・・・・
健常者に変わりはないのだけど、今日保護受給の方々との体操とダンスも盛り上がったな~。
「こんなにイイこと教えてくれて先生にお礼をいいます。ありがとう。」と!こんなこと言われたことないからうれしかったわ~☆
やはりわたしは社会的マイノリティなのかしら・・・・それは確かにポピュリズムではないけれど・・・・一般ウケしないのは普通すぎて簡単すぎてつまらないのかな(^^;)
まあ、一般ウケを目指してはいないけど。真理だから伝わるとまだ信じている☆
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