いつまでたってもスタート地点だ(笑)、一体進んでいるのか、その場で足踏みしているだけなのか・・・・・
映像で見れば、進化は確かに見て取れる。きっと上達はしているに違いない。この、目と耳を信じよう。
しかし、わたしがいうことの意味は、社会的に進化しているのかということだ。
踊りの社会的地位?はまだまだ低い。。
認識のことを言っている。
教える教わることも言っている。または社会での貢献度のことも言っている。
プロにしかできないことの価値についても。また、プロたるものの意識についても。
そして・・・・・今回は控えておくけど、女性の踊り手として、なのか、わたしの至らなさなのか、ハンディが多すぎて大変だ。
一番のハンディは偏見だ。偏見なんて、実際見てもらって実際体験体感してもらえばすぐに吹き飛んでしまうのだけど、
偏見は感覚を鈍くする。
だから気にすることはないんだ。もちろん気になんかしていない。
ただし、ここでわたしが言う偏見は、すごく普遍的な問題に近いことだから、一概に説明できない。更なる偏見を呼びそうだ(笑)
やっぱりこの続きは、伝言のとびら VOL.4(まだ3が出たばかりなのに)で、書こうではないか。
表現者として、いまだにわたしが力を得ている一枚のアンケート用紙と、なぜにわたしは競技ダンスの世界に迷い込んでしまったのか・・・そして、そこで得たことは「いま」どのように生かされていると理解しうるのか。少し紐解けてきたからね。
ものごとには意味がある(一方で物事自体には意味がない、自らのつけた意味で生きるという考えも賛成)・・・とした場合、日々の小さなことはほとんど理解できるけれど、この大きな経験はそれすら全部飲み込んで無意味にしてしまうほど人生の何分の一かを占めてしまったのだから。そしてようやく、
なぜ迷い込んだのかが分かりかけてきたのだ。
2000年に引退したから15年は経ったということだ。競技歴は厳密には14年。そして、引退の前から舞台芸術に足を踏み込んでいたので、舞台表現者としてのほうが長くなってしまった。初めて芸術家として作品を公演した時の、アンケートにあった匿名のメッセージ(何度かブログにも書いたかも)・・・・・その内容は、競技時代にコーチャーからのインスパイアでそれはそれは深く深く追い続けたテーマとも関連していた。そして、競技ダンスの時に行き着いた断片の一歩先を行くようなものだった。
あれから15年・・・・そのことにきちんと触れなくてはいけない時が来たような気がする。
いままでだって、触れてきた。しかし人々には届かなかった。そこには偏見とか概念とかの壁があった。いまのわたしは、その壁を透明人間のごとく通り抜けることができるのだ。これを思えば少しは成長しているのかもしれない。
言葉と身体でそのことを今年は提示して行こう。今年で卒業したいテーマだ。
話変わって・・・・
写真は、2014年31日ボランティアに来ていて生徒さんが撮ってくれた。ハーレムノクターン・・・キャバレー定番曲。わたしは、競技ダンスやってた時知った曲だったからキャバレー曲という概念はなかった。で、いっちょキャバレー風に踊ってみようと。即興だしね。ベテラン楽団に無理をいって入らせてもらった。。ありがたい経験でした。
ボラに来ていた、訳ありげなおっちゃんが、「キャバレーで見たダンスと同じだった。それよりずいぶん上手だけど。」とわざわざ駆け寄ってきて言ってくれた。想像のキャバレーダンスだったから、そういわれて勘があったってうれしかったわっ(笑)
ビニールシートのおっちゃんたちも、手を振ると答えてくれたりして、暗いと年がばれなくていいな~(ってそういうもんだいか・・・)
その前日、30日餅つきの日のシチュエーションはもっと強烈で(この場所じゃないです)写真も遠巻きなの何枚かあるけど、昼間だし、みなさんには刺激が強すぎると思うので、やめておきます(笑)
また、サポートセンターの生徒さんもボラに来ていて(ボラの腕がプロ級!)、寒さしのぎに作業の合間に踊って体動かしていた。わたしのスタジオの生徒さんに「先生にこういうの教わってて、これも踊れるし、これも習った。」などなど言ってくれたらしくて、なんだかほんわりうれしくて涙でた。
1日・2日はおにぎりパトロールと、夜間パトロールに行ってきた。寒かった~。とにかく寒かった。しかし、そこで見たものもわたしの魂に深く突き刺さった。
踊り手として、人間として、いろいろ宇宙に?試された年末年始でした。
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