【自身の身体と客観的に付き合え】
とは、ボーンメソッドの基本理念なのですが、
ボーンメソッドを体系化するずっとまえ、ある体験を機に【客観】の訓練をはじめた。
これには終わりがないけれど(いつ思考が感情のフリをしたり、ウソをついたりするか油断できないから・・・まあそれが人間の性ですが)、ずっと訓練しているうちに、それが常態化してきたきたことは、表現活動を仕事にしている自分にとっては、かなりの効果がある。
ずっと前とは、アスリートの時だけど、ダンス競技なので表現活動には変わりないし、競技でもあるので客観は基本中の基本。
客観は、意識だけはむずかしく、基礎身体訓練と基礎精神訓練の両方を必要とするいわばテクニックだ。本当は、この二つはくっついているのだけど、とかく精神を主軸としがちなわたしたち人間は意識なんてシロモノだけでは、すぐに主観的思考や知らずに身についた既成概念の産物を自分の考えだと勘違いしがちだ。
幸い、引きこもりのワタシは、幼少のころから自問自答ばかりしていたので、いつも「これは主観か客観か」という問いかけを自身にしながら創作活動表現活動をしてきたので、自分にとっては難しい行為ではない。
だからといって安心できないのが先ほども言った人間というものの性分なのだと思うし、ある意味では愛らしい部分なのかもしれないけれど。
そしてこの作業は、わたしにとっては、辛いどころか、極めて楽しいやりがいのある、厭きない作業。これがあるからこの仕事をしているようなものでもある。そして、だからふしぎな友達プロジェクトにも活かせているのだ。
これこそが【移ろいゆく自我】つまりシュティルナーのいうところのエゴイズムなのではいかと感じる。
そして、自分が自分である必要のない表現という仕事上、これが非常に役に立っている。
それは、まるで埴谷雄高がいうところの【非同一性同一人物】・・・あるいは非現実を表現するには現実を通してしかできないことと一致する。身体で言えば、フィジカルから離れないからこそメタフィジカルな表現に到達しうるのだと。
それにしても、今回はいろいろな意味で【客観】のクオリティあがっているのだけど、それは前作品「十二音と十二メタフィジカル」の創作過程で公開稽古をしてきたことの成果もある。公開稽古の目的は全く違うところにあったし、その目的ははたせなかったのだけど、なにより自分の創造過程をしっかり見取ることができたのは大きい。いつも記憶にない、降りてくる瞬間とかが実感できるようになった。
削ぎ落としの作業にも贅沢なくらい時間をかけられるし、こんな悦び、もう、クセになりそう。
外に出ていないし、あまり人とも会ってないけど、みんなわたしのこと忘れてないかしら~(;’∀’)
一応、いま、ここ、にいます(^_-)-☆
ご来場心よりお待ちしております。
追伸:プレ公演①
に関しましては、先に述べた「十二音と十二メタフィジカル」公開稽古の真の目的であっことのひとつ(あくまでそのうちのひとつ)、「ひびきみか紐解き版」みたいなことのために行います。みなさまの感想やご意見がほしいためのプレではなく、わたしの頭(心?身体?思考?・・・わかりませんが)の中身をお見せして、本公演の手引きにしていただけましたらと、思った次第です。
まあ、必要かどうかはわかりませんが、
【プロセスはいつも神秘に満ちている】ので、そのおすそわけ(^_-)-☆
いつも応援してくださっているみなさまにより楽しんでいただこうと思いまして企画しました。
こちらも併せてご来場お待ちしております。
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