良いタイトルが見つかりませんでした。
稽古を生活の主軸においているのですが、先日の《透明過ぎた情熱》においては、いままで以上にそうしてました。
そこで得たものは、もう考えられないくらいたくさんありました。心身共にとても調子がよかったので、いまもなおそのペースで行っています。グルソムヘテン劇場で1日6時間の稽古をしていましたが、まあそういう感じです。
稽古と言ってもわたしの稽古は反復でもなければ、トレーニングでもありません。
過去の例で言えば《奴婢鳥を待ちながら》の稽古に似ているかな。あの時から、いまのアルトー演劇への道は始まっていたのだと感じます。
でも、集団ではなくて、ひとりでやっているので、シンクロが半端なくやってきます。驚いても誰にも伝えることもできない、孤独な稽古です(^_-)-☆
物理身体から一切離れず、感情にも情動にも支配されることなくやっているので、この現象についても不思議でワクワクすれども、口癖で宇宙の采配とついつい言ってしまうけれども(汗。。)、きわめて現実的な出来事です。
稽古の大切さを、今更ながら実感している次第です。
そして、いまやっているこの行為がまるで盗み見られたかのように書いてある書物が友人から届けられ、わたしは驚愕せずにはいられません。
稽古について、公演について、表現についてそのすべてが実にクリアに書かれているこの本が、いま、この時(1月12日の公演の少し前に届いたのです)手にすべく現れたのだと実感します。
さて、公演の後はいつも体が軽く、その1・2日後くらいには、運動不足になってしまうのですが、今回もその兆しがあったものの、いつもとちょと違っています。
というのは、この公演が終わったら取り掛かろうと思っていた新作がいくつかあったのですが、一気に3つ同時に押し寄せて来たのです。いつもなら、同時に手を付けることは絶対にできないのに、今回はなぜかそれができる。
しかも、プレ公演②の稽古もスタートしているのにもかかわらず。
この1月の公演はいままでとプロセスも結果もかなり違ったのは確かです。
集約していえば自分のルーツを受け入れたという大きな前進があったのです。
だからかどうかわからないのですが、内側から意図せずやってくるワクワクのパワーがいつもと違う感じなのです。自分の過去を受け入れる、自分のキャリアを受け入れるって大切なんですね。っていうか受け入れてなかったのかしら・・・・(^^;)
それから、潜在的にかなりみなさまに届いたようです。例のヤツ。
わたしは、いくつかの事象をあの日見ました☆
と同時に、この作品が観客とともに完成したことを実感しました。心より感謝。みなさまに。そしてわたし自身に。
それにしても、今日の稽古で起こったシンクロはあまりに強烈でひとりでは抱えきれない(^^;
だれかにメールするから、受け取った方、よろしくね(^_-)-☆
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