にぎやかな田舎よりも静かな都会が好き。
田舎は自然の生きる音がたくさんして、とても生命力あふれてにぎやかです☆彡
静かな都会とは、路地テアトロみたいな場所(^_-)-☆
都会の真ん中なんだけど、ホント静かです♪
特に天気の良い休日・・・・今日も!・・・は最高です。
こういう日は、稽古にもってこいの日なのです!
物音ひとつしないので、自分の動物性がハッキリ感じられます。
田舎では、人間以上に素晴らしい自然(動植物)がたくさんあって、自分が動物であることを忘れそうになります。
わたしの場合はね(^_-)-☆
で、静かな都会で人知れず稽古していると、自分のオーガニックな部分が次から次へと現れて、作品の素材が溢れだします。わたしの場合はね(^_-)-☆
舞台芸術に転向したころは、自然を求め、自然の中で踊ることに憧れ、あちこち行きました。
でも、いまはこの、都会の静けさにはまっています。
このようなパラドックは、あらゆることと同じです。
わたしのようにメタフィジカルな世界を表出するものは、フィジカルから離れたらできません。
非日常を表現するうえでも日常をしっかり捉えていないとできないのと同じです。
捉える・・・というのは、客観視するということです。日常をより細かく客観視できないとそこに内在する非日常を掴むことができないのです。
それはともかく、都会の静けさ・・・無機的な空間・・・は、わたしにとってメタフィジカル作品が生まれるにふさわしい場所なんです。
感情に捉われることもなく、ただただオーガニックに体が動きます。
即興ではありません。トレーニングでも振付でも段取りでもありません。ただの身体です☆
そんな稽古を毎日何時間も行います。
するといつの間にか何かが生れ次第に作品ができてきます。
むすひ というらしいですね☆
作品が何となく完成に近づいてくると・・・・・・
次の作品がドアを叩いてきます(^^)vこれもまたふしぎなことですが、普通と云えば普通です。
あ!そうそう!普通で思い出しましたけど、普通のことの中にある宝モノこそ、芸術の宝庫なんですよ♪
特殊なことをあまりしません。特殊なことをあまりしないことが特殊と思われてしまうようですけどね。先ほどの非日常と日常の話と一緒ですね。
それから、作品が完成した後、つまり、本番または本番の後に意味がたくさんやってきます。
わたしも観客の一人なのかもしれません。踊っているときに意味性は持ちません。なぜか終わってから降ってきます。
あとで、いろいろ繋がってくるわけです。
なので、わたしの作品は特に意味を考えながらご覧になると困惑するようです。
ただひたすら見ることをお勧めします。
どこにも観念的なところも、小難しいところもありません。
ではまた☆
休憩終わり!再び稽古に入ります☆
静かな都会が好き。にぎやかな田舎よりも。私も時々そう感じることがあります。町の図書館で本や新聞を読んでいると知り合いが声をかけてきたり、教え子たちが「先生ちょっと来て」と誘いを受けたり。また、窓の外ではカラスが鳴いたりヒヨドリが喧嘩して騒いでいたりと。一方、都会の図書館、月に一度はお世話になる明治学院大学の図書館の六階閲覧室は静かです。また、年に三回位しか行きませんが六本木駅近く新国立美術館横の政策研究大学院大学の図書館はいつも一人貸切状態で、時の経つのも忘れてしまうくらいです。大きなガラス窓から都会の灯を確認して慌てて退室すること度々。そして、お気に入りの図書館は上野動物園を左手に見ながら林の中を通り抜けて行く国立国会図書館分館「国際子ども図書館」アーチ棟二階の資料室です。ここもほぼ貸切状態、世界各国の絵本を読んでいくと、その物語の世界に一人入って夢見心地になるのです。ひびきみかさんの文章を読んでいたらこんなことを書きたくなってしまいました。どうかお許しを。さてさて「むすひ」とは何ぞや。手っ取り早く「広辞苑」で調べたら、むすび【産霊】(奈良時代にはムスヒと静音。「むす」は産・生の意、「ひ」は霊力)天地万物を産み成す霊妙な神霊。むすびのかみ。むすぶのかみ。うぶのかみ。とありました。また一つ勉強になりました。「神代紀(上)」なる書物読んでみます。だはまた。