いま、もっぱらはまっているのは
身体と心と魂の区別がつくかということ(^_-)-☆
かなりわかりづらいと、ある訓練をご教授していただいている先生(スピの先生ではありません(#^^#))曰くですが。
身体と心は、訓練しすぎるくらいしてしまったので(^-^;
よーくわかります。
が、魂のことはいまひとつわかりません。
思考が感情のふりしてる様とか、思考と身体の声の違いとかもわかります。
でも、魂と心の区別が今一つつかない。
先日、ずいぶん前に踊りの時に発見したある神秘の時間をこの訓練でも体感しました。
DEEP MOVEMENTのもとになった発見と同じ種類の体験を踊りではないことで体感!
これは、自分にとってとても良い体験。
やはり、DEEPは存在しているんだと確信以上の確信。
宇宙の時間?宇宙の空間。わたしが神秘主義に至った経験を思い出した。
これが魂なのかもしれないけどね(^-^;
DEEP MOVEMENTの位置する《場》に棲みながら表現活動をしたくて前衛身体表現に転向したのだけど、
しっかりその《場》を体感できても、見えないっていえば見えないので、説明するのは難しい。
しかし、見えないから存在しないというのは違うと思うし。存在しないと思っているから見えないのではないかというと、またまたキャロルとエンデの世界へ突入してワクワクしちゃう(#^^#)
いま、未来の大作のためのいろいろを準備しているのだけど、このことは果たして役に立つかな?
むしろすごく現実的な作品だから。抽象表現には変わりはないけど。
そもそも何より現実を直視しないと抽象表現はできないので、見える現実は言うまでもなく見えない現実も直視している。
一般的には、人々は見える現実のほうが、見えない現実よりも、見えていないような気もする。
わざと見ないのか、本当に見えていないのか。
見える現実はしっかり見たほうがよいですよ。そこに見えない現実も存在しているのだから。
一人でいる時間。一人稽古の時間、メールや何やらをやらない時間、大事ですね。
武術では、一人稽古の時間をとれる人ほど技が磨かれ向上するらしい。
踊りもそうだね。
踊りといわずも芸術ってそうかもしれない。
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