人から頼まれたからやる、ってのは続かないよね。
頼まれればやるっていうのは、自分の責任はないというどこかに他者依存の匂いがする。
確かにそうだ。
頼まれなければやらないものね。
自分はどうかな~。わたしは、あまり人に何かを頼まれることがないから(汗。。)、好きだからやる。頼まれなくてもやりたいことはやる。って感じかな。自分のため。
ボランティアが人のため、誰かのためだと思っていると、数回はその満足感で充実するのだろうけど、自分からやる。という風にはならないよね。
やったらやったで得るものは大きいと思うけど、きっとすぐ消えてなくなってしまうのだろうな。忙しい日々の一コマなんて。おいしいとこどりでズルイわって思うけど。
時間に流されないで、じっといろいろみていると感じることたくさんある。
今年も変化の年ですね。全体的に。
だから身近も。もちろん、わたしも。
今年のボランティアは「そして誰もいなくなった」・・・ばりになる予感。
わたしだけ残れたらいいな。一人じゃいいや。なんて言われた日には・・・(;’∀’)涙だけど。
ナーンテ、そもそもわたしのボランティア活動は一人でやっていたのだから大丈夫かと(^_-)-☆
楽しいんじゃないかな、経験できないことを経験できるんじゃないかなとおせっかいし過ぎたのかもしれない。
障がい者と関わるというのは、まだまだ特別なこと扱いなのかも。神に仕立て上げられて絶賛されるだけではなくて、普通であるという感覚を伝えたかったのだけど。
自分でできることは限界があるけど、頼まれたらやるという人たちとやるとまた違う限界だらけになる。
意識の中の吹き出しが「やってやった」となると超ショック。ボランティア活動にやってやったはないでしょ。と言いたくなる。
だから自分でやれることしかやらないと決めている。
で、自分ができることが普通の人ができることよりすごく少ないので限界もわかりやすく、その中で全身全霊かけられるのでとても良い。
で、それじゃやらなくてもいいと言われればやらないまでのこと。やってもらって当たり前ってのもショックだけど、押し付けるのはもっと変。
余談だけど、最近ボーンで感謝される機会が多々あって、動揺?している(^-^;
感謝することは多いけど、されることはこれまた少ないもんでビックリ!だけどうれしいもんだわっ。
ボーンメソッド・・・これもまた他者のためではなく自分のために生み出したものだから。
感謝されたら喜びしかない。自分のためが意図せず他者のためになる?!
そういう道をこれからも歩いていきたいかも。
話戻って、
きゃべつのみんながついに路地テアトロで公演致します!
こんな日が来るなんて!出会いの日を思い出すとグッとくる。
定員まであと1・2名です。
ボランティア募集の話ではありませんでした。あしからず。
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