この間火曜日のレッスン時に、指導中、生徒さんたちをあのダンスの神秘の空間に誘うべく、自分も一瞬一緒に踊ってみなさんを煽って?いたら、自分の内側がグワっと広がって、光に満ちた。
そうそうこの体感をみなさんに味わってほしくて、結構特殊らしい(普通なんだけど)レッスン法を行っているのです。
でも、自分が・・・・また新しい何かをつかんでしまった(笑)こんなに効果があるとは自分でも驚いた。
もちろん!この日、生徒さんたちもずいぶん先週よりは、マインドが開けましたよ。
結構知的な行為なんですよね。身体表現って。身体との一致感が自然に行われているので、あたかも頭悪そうに見えるのかもしれないけど(笑)
それを知っているので、わたしはきゃべつのみんなやぽれぽれの仲間たちと踊ると、驚愕するんですよ。彼達の頭の良さに。
一般的に障がいをもたれる方々を「頭が悪い」と思い込んでいるのじゃないかな~世の中は。
直接触れ合うとよーくわかりますよ。頭の使い方と身体の使い方の非常に高度な能力を。
頭で考えるということは不可能だということを知ってほしい。
たくさんの達人たちも言っている。
頭でわかって体でわからないわかり方とは、いったいどういうものなのか
そうなのよ。それが言いたいの。わたしの場合はこの言葉遣いにも疑いを持っているのです。
わたしだって、知っていてもできないこともたくさんあります。
そういう時私だったら、「頭ではわかっているけどできない。」とはいいません。
「知ってはいたけど、まだ理解できていないんだなあ。」とか「実践に移せないから、知っていても意味ないじゃん。」とか
「なにか違ってとらえているから実践できないのかな~。」とか・・・つまり、できない=わかっていない と解釈するのです。
そうすると、結構すぐにできるようになるんだよね。これがまた不思議なことに。
それよりも、現象が同じ?(わかっているけど、できない現象)でも、ひとりひとりのボキャブラリーは違ってもいいのではないかと思うのです。
たしかに単語の数は、身体の中のことを表すには少ないですよ。でも、誰も彼も同じ言葉を使うというのは、いささか奇妙です。ちょっと怖いです。
わたしがしょげてしまうのは、頭でわかってると言っているときに見える拒否の波動を感じて、レッスンは必要ないのでは?レッスンは知らないことできないことをどうやるかを教わるわけでして、わかっているんだったら、習いたくないだろうからなーと思ってしまうのです。
討論会じゃないんだから。(討論会ほど無駄な時間はないと思っている)昨今はSNSやメールやいろいろの普及で、ボキャブラリーの貧困も気になるけど、身体の欠落はもっと気になる。議論・・・しかも言葉の揚げ足ばかりなんですよね。
わたしが、もしわかっててあとは実践するだけだと思った場合、自分の問題だし自分の努力次第だし、知恵を使い体をどう使うかだけだから、とにかく動いてみるけど。体を動かす(実行する)自主練を繰り返す。そして、「この次までにやってくるので見て下さい!」と言います・・・そうやって、師匠やコーチャーと交流してきました。
とにかく動かなきゃダンスにならんし、とにかく動くと広がるのよ。
さてさて、
レッスン中に自分の中がグワっと広がった時、思わずそこに没頭して入り込みたい衝動にかられたけど、レッスン中なので自粛しました(笑)
0.何秒の出来事だったようにも感じるけど、身体の中にいまも残像がちゃんと残っています。
すでに、なんども実戦も体感も体験もしていた感覚なのだけど、今回のグワっは、妙に光ってました。なんて、レッスンしながら、自分と対話したりして・・・すみません。。
レッスン中。レッスン中。。
あ~またレッスン受けたい♪
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