10月路地通信②

流石にプチダウンした3日連続の趣旨の異なる本番2日目は、ひびきみかソロ路地テアトロ公演「出口なし」。

今年も1月からたくさん作品を生み出しました(シアターカイ2回、路地テアトロ4回)。9月の方程式人間から間もないので、今回の公演は作品という意識を持たずに創ってみました。

そうしたら!必ず公演前というか創作途中で陥る引退宣言なるもの(汗)が、現れなかった!心配も不安もなかった。自信は持ったことがないけど、なんか楽しかった。

わたしの流儀ってヤツをいつも以上に客観的に感じれて充実していた。

 

とはいえ、わたしは自分の創ったものを自分でこなすのに円形禿ができるという特徴がある・・・つまり、極度の緊張状態が必ず強いられる。自分で自分に課しているのだろうが、それがないと不安でもある。

そこまでしなくてもと言われる場合もあるけど、そこまでしないとできないし、そこまでしないと自分は飽きちゃうのかも。これはまだアスリートなのだろうかとも思うけど、だからあのような世界が生まれるのでヨシとしている。こだわったら芸術はできないので、こだわってはいないけど、いまのところこういう感じなので、まだこういう感じでやるのだと身を任せている。

 

大変?だったのは、路地テアトロをそういう空間(幕や客席などなどのこと)に設定するのには、どうしても最低一日かかる。例えばきゃべつ舞踊団が持てるものを発揮できるようにする空間づくりにも数日かかる。以前檪ちゃんが公演した時もその準備には数日かかった。

それをまた次の空間・・・つまり、今回で言えばひびきソロの空間に創りかえるのに、また数時間かかる。

ひびきソロの空間は稽古でイメージ出来ていたから、創りなおすのは簡単ではあるけれど、それでも何時間もかかる。そして、この空間づくりは、表現そのものにも影響する浄化にもなっているので、とても大切なのである。

以前DEEP UNITが発表する時も何日も前からシュミレーションして、当日もみんなが来る前に空間を創ってきた。

誰も知らないけど。あたり前のようにお膳立てされたところでやることの大切さがせめて伝わったらと思ったけど、それを感じてくれたのは、結局は健常な人ではなくて、きゃべつや檪ちゃんだけだった。

これに関してはなぜそうなのか、そこまで感覚って健常だと鈍ってしまうのか、まだわたしには解明できてない。解明できる前に解散したけど(^-^;

 

というわけで、きゃべつ舞踊団の公演が終わり終演後に実はego ipseのための素晴らしい稽古もあって、そんなこんなで興奮冷めやらず、浸りたい気持ちをグッとこらえてみんなが帰ってから、「出口なし」の空間を創ったら、もうクタクタで、この日は稽古できなかった。

しかも、出口なし公演の翌日の本番(栃木へ移動)の準備もしておかなければならず、それも終えたら、もう余力がなかった。

そうでなくても、自分の表現はかなりの集中がなければできず、場当たりなんて緩い意識ではかえって狂ってしまうので、こういう時は、不安をおさえて、やらないのが正解。

本番の日にゲネをやり、本番を迎えた。(再演が決まったので写真はこのくらいに・・)

思った以上に好評で、ほっと胸をなで下ろして、さてさて、翌日のどでかい使命に向かっていざ出発。

3日目の感動体験を終えた途端に、プチダウンしました。

つづきは③で。

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