素敵なエピソード

ふしぎな友達プロジェクト活動においての
素敵なエピソードをたくさん綴っていきます☆

第四話:ふしぎな友達 路地テアトロ公演デビュー 

路地テアトロはひびきみかの身体表現を主体とするミニミニシアターです。
この空間はひびきにとっての聖域でもあります。
ここで、2019年にふしぎな友達の本格的公演が二つ行われました。

ふしぎな友達プロジェクトは、スタッフをプロで固めるのをモットーにしており、出演者がアマチュアであってもモチベーションが路地公演に匹敵するという見解がないと公演許可を出しません。

単なる発表会ではないからです。
さて、緊張感あふれる中、見事に踊り切ったのは〈寺崎檪さん〉です。

集中力も素晴らしかったし、観客に対するアピールも、そして何よりいままでの稽古の成果を充分に発揮し、クオリティの高い公演となりました。
空間設営、リハーサル、綿密な準備に親御さんもプロ並みに関わってくださったからこそでもあります。そして、その期待に応えた檪さん。

まさに、我々プロスタッフとの連係プレイでした。鑑賞力の高い観客の方々が押し寄せ、障害者だから素晴らしいという奇妙な空気が微塵も流れず、まるでひびきみかのソロ公演の時のような緊張感のなか檪さんが見事に踊り切ったのです。

 

そして、その約半年後〈きゃべつ舞踊団〉のみなさんも、このミニミニシアターで、ところ狭しの中空間を手中に収め見事に表現力を発揮しました。

きゃべつ舞踊団の皆さんは、「外郎売」から始まり、ミュージカルナンバー「貧乏神と福の神」の一節、そしてダンスショーと見ごたえのある公演でした。

社会では不自由を味わっているかもしれない彼らがこの空間で他者との距離を上手にこなし表現していく姿はとてもカッコよかったです。

後にも先にも路地テアトロにおけるアマチュアの方の公演はこの二組のみでした!

路地にとっても良い思い出となりました☆

 

さてさて、次回第五話は何にしましょうか(^_-)-☆

 

第三話:ふしぎな友達祭り

夢は叶う。たいていの夢は叶う。
この日もわたしの夢は叶った☆彡
ふしぎな友達祭りというのを7年前の5月に中央公園で行った。
あとで思うと、別な意味でも、また、関連した事項においてもとても意味のある日時だった。

このイベントは、ego ipseの前身だったともいえる☆
「わたしがレッスンしているありとあらゆるフィールドで生きているみなさんと一度一緒に踊ってみたい」という夢だった。
こんな日が来るなんて思ってもいなかったけど、意識下ではわかっていたのかも。
というのは、ぽれぽれダンスやきゃべつ舞踊団に振り付けした演目を、もしかしたらどこかでそれぞれが出会う機会があるかもしれないと予期して、誰もが踊れるようにどの講座においても(一般のひとにも)伝授していたのだから。

そして、なぜこの日を選んだのかというと、わたしがボランティアを始めていたおっちゃんの炊き出し日であり衣料配布の時間に設定したのだった。
そうすれば、わたしたちが踊っているのをおっちゃんたちも見ることができるし、もしかしたら踊ってくれるかもしれないと思ったから♪

とっても天気の良い日で、ひとりまたひとりと仲間たちがやってきた。

多分総勢100名以上にはなったかな。
しかも、イベントといってもわたしの企画するイベントはいつもそうだけど、ただ踊るだけ。
販売や飲食は無い。踊りだけ。

だってわたしたちは、踊りで出会って、踊りを介して友達になって、踊りを介して信頼関係が生まれたのだから。

実は宴会付きってのが好きじゃないってのもあるけれど(;^_^A

言葉とか飲食とか介さなくても信頼できる仲間が一人いればいいやと思っているので(^_-)-☆
それが100名も集まって、挨拶も無しに、踊って意気投合!疑いの余地もない。
理想です。

また外で踊りたいなっ♪一度外でレッスンした時もあったな(^^)/

ホントは、ふしぎな友達祭りのチラシを作ったり写真ももっといっぱいあったのだけど、
見つからないので、この辺でお許しを!

そうだ!Facebookのふしぎな友達プロジェクトのタイムラインの写真

見れたら見てみて!スクロールして、全部見ると仲間との素敵な歴史が一目瞭然(^^♪

みんなの発展はとどまることがないと思う☆彡

 

 

第二話:ホームレス越年越冬・夏祭り・お花見・餅つき・・・おっちゃん達との思い出

自分が本当の意味でのボランティアに目覚めたのは、遅ればせながらおっちゃん達と出会ってからだ。
キューバの路上でホームレスさながらの人々に出会った体験が忘れられなかったのと、ちょうど震災前の年に大切な人が亡くなったことを機に、少し外に出なくては・・・と思ったのでした。
まずは病院ボランティアからはじめたのだけど(後日エピソードにアップします)、そこから知人の紹介でホームレス関連のボランティアに参加することとなりました。

炊き出しやパトロールに費やして1年後くらいに、踊らせていただく機会を得たのでした。思い起こせば初めの頃はなかなかおっちゃん達のことわかってなくて、喜んでもらえるようなショウはできていなかったと思う。
でも炊き出しやパトロールを続けるなか、おっちゃん達と友達になれて、いろんな話を聞くうちに少しだけ信頼関係を結べるようになって、ショウの方もいい感じになって来たのでした。

この十年ほどの関わりの中では、昨年末の極寒の越年応援ソロダンスが一番、ボランティア活動としてのダンスとして実りが多かったように思えたかな☆

当日だけの関わりでは、ボランティアと言えどもする側のためにあるようなことになりがちで、あくまで<誰のために>を見失わないようにするには日々の活動が当日花開く感じがベストだと思う。綿密な稽古はボランティアでも同じ。

それにしてもこの十年で親しかったおっちゃん達も亡くなった方が多く、ちょっと寂しい。
いつも踊りの時声援してくれたりヤジ飛ばしてくれて楽しかったのだけど。

デートに誘ってくれたおっちゃんとも会えなくなったな~。元気なのかしら・・・この体験は何ものにも代えがたい。踊りを見に来ているわけではなく行く場所がなくそこにいる人々が、逃げ場のない中でここにいて良かったと思えるような踊りを踊れた時は表現者冥利に尽きるけど果たしてどうだったかな(^^;)

この体験があったから、稽古でも無観客でも、誰も見ていなくても本番同様の意識とパフォーマンスができるようになったのだと思う。アスリート出身だから、この路線は向いているのだけどね。

おもろいカワイイおっちゃんたくさんいてエピソードもいっぱいあるのだけど、書ききれないので自分の話になっちゃいました(^^;)

あしからず☆

 

第一話:初のぽれぽれバスツアー!の奇跡

なんと言っても、ぽれぽれダンスの始まりからさらに大きな一歩を踏み出しゆるぎない信頼関係が生れたのは、出会いから三年目にひびきが個人企画した初めてのバスツアー(2008年)だったと確信しています。
初のバスツアーにも関わらず、一泊旅行!!
しかもバスで7時間かけて岐阜まで(^^♪ブログで知り合った方がボランティアしている施設へ訪問☆

無謀と言えば無謀ですが、途中で引き返すことになろうが構わない。

みんなとそこへ向かうプロセスこそが大切だと参加者全員がそういったゆるぎない思いがあったせいか、懸念してたことが起こることはなく、信じられないほどの奇跡を振りまきながら旅をしてきました。

そして、その経験が仲間のみんな自身の後の生活にも現れたようで、企画にご賛同いただいた保護者の方から「あのバスツアーは娘のルーツだから☆」とまで言っていただきました。いま思い出しても身体が喜びで震えます☆

岐阜を出発する寸前に、横一直線の虹が出ました!祝福の虹に感激冷めやらぬ帰途でした~☆

以後、1年半くらいの感覚で日帰りバスツアーを行いました。※写真は、このページをスクロールすると見れます。

 

☆過去のイベント
ダンスシアターego ipse(2015~2019)

 

flyer_3_%e8%a1%a812190883_809238442532830_6986466143381221820_n

 

ぽれぽれバスツアー(2008~2017)

 

 ※以下写真もアップしていきます☆

●院内コンサート
●老人施設慰問
●ホームレス越年越冬支援
●ふしぎな友達祭り

 

ふしぎな友達facebook