大きな一歩を踏み出せました。
メタフィジカルな作品創造の仕事には、創作者の根底にあるthoughtやphilosophyが重要だ。
見た目のフォルムや表現方法だけの問題ではないからだ。
芸術創造において他者と関わる時、このことがとても大切となる。
出会いと言ってしまえば安っぽいけど、同じthoughtまたはphilosophyをもつ表現者とめぐり合う奇跡はほんとに珍しいと思う。
自分はそういう機会にいつも恵まれるけれど、それは自身の経験からの論考を揺るがず持ち続け発展させてきたからだと、このことだけは自負したい。
こういった奇跡(めぐり合い)?が起きた時に日々の孤独や葛藤が如何に必要であるかを実感できるから、自分自身の生きる意味にも繋がっていく。
いま創作中の作品「face」が半分ほど仕上ったところで、タイミングよくある劇団に見ていただく機会を得た。
このタイミングも一つの奇跡?だ。
そう、わたしが昨年招聘されたグルソムヘテン劇団がちょうど来日していたのだ。
またまた、他の追随を許さない、素晴らしい作品を見せてくれた。ホントにこの劇団の役者たち(作品ごとにキャストが違う)はひとりひとりのクオリティが非常に高い。
この話はまた追ってお話しするとして彼たちがマチネ公演の日の夜に路地テアトロに来て頂きこの新作「face」のリハーサル(稽古)を見てもらった。
この劇団とわたしの奇跡的(奇跡ばかりだ!)な出会いについてはご存知の方も多いので、今日は省略するけれど、偶然?にも同じthoughtやphilosophyをもつキャリアのある劇団にこの作品の繊細な状態(まだ半分)を見ていただける光栄に我ながら興奮した。
そして、あらためて演出家は言うまでもないが役者たちの見識の高さと研究度と、何より鑑賞力と想像力の類まれなる技量に驚いた。
しかも、お互いにインスパイアされ、またそれがそれぞれの芸術創造に生かされていくという理想の関係を結ぶことができた。
日本のように権力的に批判や押しつけをするのではないところが、北欧というフェアな民族を感じさせた。
こうでなければ向上していくことは難しい。日本はどうして、自分の意にそぐわないモノ、または自分が意図しなかったものを否定するのだろう。ヨーロッパではそういうことはあまりない。
まあそれはともかく、民族性の違いはあれど、偶然にもthoughtやphilosophyが同じ芸術家に見ていただけたことは、この作品の将来を保証されているようでもあった。
とはいえ作品創造・・しかもメタフィジカルな身体表現には、安泰はない。いつもデンジャラスな緊張がつきまとい、油断大敵な精神を持って創造していかないと良い作品は生まれない。
非常にハードでリスクの多い芸術を選択した我が人生だけれど、こういったたくさんの奇跡的出会いに恵まれるので、歩いて行けるのだと思っている。
ひびきみか 初のDuo作品・・・厳密には20年ぶりともいえるがメタフィジカルな表現としては初のDuoとなります。
お楽しみに!
最近のコメント