とてつもなく悲しい出来事がわたしをあるところに回帰させているのだけど、その「場」は明らかに元の場所ではない。
運命?が自分が意図していない方向に引っ張っているのを感じるのだけど、大小あれど何度かこういう経験をしていると、どれどれちょっと様子を見てみようと戸惑いよりも楽しみになってくる。
きのうは、午前中きゃべつ、午後はまた違う場所で精神の仲間たちとダンスをした。
ここの仲間とは年に3回しか会わないのだけど、その度に、ナンテわたしはこういうことに向いているのだろうと思ってしまう。
きのうは職員さんの驚きの反応と共鳴にわたしはいつも以上にやりがいを感じた。
誰もが見て取れるほどの効果もうれしいのだけど、実はわたしはもっと奥のところを考察している。
すぐ考察する(^^;
もうこれは性分ですな。。でも、この性分が自分にとってマイナスになったことはない。理解はなかなか得られないけどね。
奥というのは、根源ってことかな。
好きなのですよね。なんでも根源を感じたり追い求めたりすることが。若い時からずっとこの興味は尽きない。
経験を積んでいくと、興味だけではなく、それを論理だてたり行動にうつしたりして、伝達する技術も身につく。
それはまあ、レッスンだったりパフォーマンスだったり、話したり、こうやってなにかに書いたり。
でも伝達は兎に角、牛の歩みでしか進まない。それでもコツコツやってる効果はあるけど、その歩みの最中に自分にはどんどん新しい発見が積み重なってきてそれに伴って自分自身で検証したり考察したり論考をまとめたり(論考をまとめるのはなかなかできてないけど)してしまうので(これを引きこもりとわたしは言っている)、伝達が遅れるし、響くことはもっと遅れる。
響かなくてもいいのだけど・・・
伝達だけはしておかないとという気持ちを若いうちから持っているため、自分だけの楽しみにしておくことができない。
ただ伝達には無理解という痛みがつきもので、それがつづくと、この作業は無意味なのではないか。一生のうちに終わらないではないかという絶望感がやってくるときがある。
だけど、何度も何度もこれを繰り返しつつわたしは意外にも?絶望にも打ち勝って・・・というか興味と探究が勝るから・・・楽しく生きている。
まあ、自分の根源を追求し続けていれば自ずと周囲で何が起きているのかはわかる。
自分と逆行していることがほとんどだけど、わたしは牛歩を止めることができない。
それでいいかな☆
しかし、そのためにいろいろ不義理もすると思うのでその辺は謝っておきます。
でも、みなさんにも自分の根源を自分自身の興味で探究することはお勧めしたい。
なぜなら、とっても楽しいから。
みんながそうしてみたら、世界は良くなる感じもするし。
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