稽古ブログをしばし離れて、ひびき&路地テアトロの現在を少しご報告(^^♪
寒がりのわたしにはちょうど良い季節になりました☆彡
路地テアトロはもともと風通しがよく(龍の気も通るし)、平日も休日もほとんど人通りがないので、静かにこの気候を味わっております。
そこで、突然?気づいたのは?!
わたしのいままでの日常って、いまでいう自粛?だったの????
なんてことでしょう!だからいつもと変わらないのか。と妙に納得。
っていうか人々はいつもどうしているのだろうか・・・
というのは、ここがボディワークギャラリーだった時のキャッチは「自分と向かい合える空間」だったのだけど(‘◇’)ゞ
結局自分と向かい合いたい人はあまりいないのだということと、そもそも自分と向かい合うってなんだ?自分はいまここにいるのに・・・と。
世間的に興味を持たれるキャッチではあるけれど、絆や愛、感謝や繋がるなどなど言葉の一人歩きで実が伴わない現象と同じではないかと思い、そのキャッチは早々に消したのでした。
それが、この度の非常にわかりずらい宣言のもと、
この「自分と向かい合う機会ができた」という言葉をそこここで見聞きするようになり、一層がっかりしたのでした。
もし、自分と向かい合うという行為があるとしても、それはいつでもできるからです。っていうかいま居るわけだから。そしてこれは忙しかろうが暇だろうがいま自分が居ることは、在ることは変わらないわけで(‘◇’)ゞ
結局「身体」もそうだけど、身体はあなたでもある。つまり自分である。なんだよね(^^)/
今回もその身体をケアしてみなさん自粛されているのだと思うし。(むしろ心がそれを邪魔しているのではないか・・・)
身体をこよなく愛するボディワーカーであり、身体をこよなく愛するダンサーとしては、この現象は不可思議である。
そして、その、いわゆる・・・もう一度使わせてもらえば・・・本当の意味で自分と向かい合えば(っていうか自分はいるのだけど)・・これは一つの娯楽でもあるし、芸術でもあり得るし、社会の縮図でもある。飽きることもなければ、時間を持て余すこともないのでは?
と、わたしのいつもの日常そのものは言っている。
そして、だからこそ、本当は人々にとって「不要」なものなんてなく、いままで「不要」なことをしていたのですか?と問いたい。
もししていたのなら、良い機会だからやめるのはいいかもね(^_-)-☆
例えば・・・もう一度いうと(^^;・・・自分と向かい合う時間がないほどあわただしかったのなら、そこには不要のものがあったかもしれない。そういう時こそ他者を頼ったり社会システムを活用することはできたのではないかとか。それこそが本当の繋がりでもあるのではなどなど。
声援や言葉だけでは生きていけないからね(^_-)-☆
わたしは日ごろから「不要」なことをしないので、自粛する事柄は何もなかった。
それでも、いま現在の世の人々より行動も少ないかも(;^_^A
にしてもボーンメソッドワークは一人遊びには最適で、LATINもその神髄の音魂を身体で受け取れば生きてる実感はひしひしと感じますね♪
それを「ダンス」と言っていて、伝授してきましたね(^_-)-☆
さてさて、明日からまた本腰いれて稽古しないと(‘◇’)ゞ
チョー焦ってる。。。
ではでは(^_-)-☆20年ほど前の写真!
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