とは、わたしの大好きな画家の著書のタイトルですが、
今日はみなさんへわたしからのメッセージとしてこの言葉をブログのタイトルにしました(^_-)-☆
ここ最近「踊りたい」という言葉をよく聞きます。お手紙もいただきました。
はい。踊りはいまのような状況下・・・昔から大変な時や思うままにならない時などに生まれてきました。
ひとは踊りながら生まれてきたので、言葉が無いときも踊りはありました。
祈りや気持ちを伝える手段や、願い事や、共鳴のツールとして、または神々(宇宙)との交信にも使われてきました。
いま「踊りたい」と思うのはとても自然な感覚であり、そう思えるということは、身心も健全であるということです。
踊りは見せるためだけにあるのではありません。見せるのはそれを生業にしている人ですが(わたしも然り)、そうでなくて、踊りは踊るためにあるのです。
数年前、心の病で入退院を繰り返している方がわたしに「踊っている時はイヤなことを忘れられる」と言っていたので、「だったらずっと踊っていればいいのよ」といったところ、「そうか!」ということで病院でも家でも踊っていたようです。
そして、わたしのスタジオで踊りたいがために退院してはるばる来てくださいました。その方にとって大きな出来事だったと思います。
その後、間もなくして施設も卒業していきました。元気にしているかな。
その方は踊りとの関りがとてもナチュラルだったということですね。
踊りはジャンルでもステップでもありません。誰でも踊れます。
もし、もっと踊りそのものになりたいと思ったら、何かの踊りを覚えればよいのです。
例えばよくみなさんがこだわる。ステップとかもすべてもとは衝動から生まれたものなのです。自然発生的に。それが体系化して受け継がれているだけです。だから、ひょっとしたら、ナチュラルな身心でいれば習わなくてもその踊りの振りは自然と出てくるかもしれませんよね。
キューバでは、巷の人々が「音楽が言っている」といって踊っていました。
プロはまた違う使命を持っている(みなさんも何かの専門家であるように)のでまたちょっと違いますが、それでもプロになるきっかけは巷の人と同じだったのです。特にLatinの場合は「音楽が言っている」ですよね。そして、「音楽になる」
音楽になるにはリズム感や運動神経は必要ないですね。
肢体不自由な方の瞬きだけのダンスを見たことがあります。昏睡状態の方の魂のダンスも見たことがあります。
とにかく「踊りたい」と思った時に踊ってください。身体の声は確実です。思考よりウソがありません。
ではでは良きダンスライフを!
※この度のレクチャーパフォーマンスは追加となった11:00のみ空きあります。
「踊りたい」と思った時に満ち足りた感覚で踊れる極意を伝授いたします。
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