円環という行為

次の十三日会冊子には円環について書きました。

長くこの仕事をしていると、経験から自然と論理が出来上がり、身体先行で創造していきながら自然と論理的に成り立っているモノを無意識に構築できるようになります。

しかしながら、自分ではつじつまが合っていてもそれを文章に起こし論考として成り立たせるには時間がかかります。

口で言うのはたやすいですが、論考としてまとめるのはかなり難しい。
物書きではないし、身体優先の仕事柄もあって後回しになりがちです。
後回しになって当たり前でありますし、これからも身体優先ですが、それでもそろそろ書き始めねばと思っています。

閃きは身体と論理両方から湧き出てくると実感しますし、
それを具現化(身体化)するのは肉体とやはり智慧です。

双方のバランスが良くないと作品は出来上がりません。
イメージだけではだめですし、むしろわたしはイメージとやらを信用していません。

さて、そういうわけで、感情たるものはやはりこの作業には関係ありません。
確かに意気込みをもって挑まないと先に進めませんが、それだけでは作品はできませんし肉体も動きません。

 

行動あるのみってところです。
一般的な倫理と一緒ですね。

 

海外では公務員的な扱いの創造の仕事も日本では趣味の延長に思われがちですが、肉体と知恵と論理のバランスを駆使するのは経験から何を得たか感じたか、考えたか悩んだか実践したかなどなどに関係します。
なんだかんだ、40年近く創造の日々を送っていることをいまもっと深く受け止め、少しずつ論考を仕上げてゆく所存です。

日々は目まぐるしくいろんな閃きや事物がやって来ますので、都度受け止めておかないととても追いつきません。
過去を振りかえるのは好きではありませんが、未来のために過去をいまに持ち込み未来をもいまに引き寄せていかないとと肝に銘じています。

 

是非楽しみにお手に取って見てください。十三日会60号は、11月末または12月初めに刊行されます。
バックナンバーも是非!

 

「湧出の途」円環シリーズ最終章 定員オーバー御礼!
各回3名→6名で締め切りました!ありがとうございます。

 

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