今日で、今年のぽれぽれダンスレッスンは終了しました。
1年を振り返って、感謝の気持ちを持ってレポートを書きます。
医学的な根拠や障害者についての専門家ではないですが身体のプロとして、また、固定観念を持たない仕事(表現者という仕事)が、役に立ったと自負しています。
とはいえ、17年間続けてくださったお陰で、いろいろなことを発見できました。
わたしを信頼してくださり、レッスンを続けてくださった親御さんのご支援が大きな支えとなっております。
レポート:自閉症の概念として支援者のみなさんは«こだわり≫について言いますが、なんでも疑いを持って可能性を見出す性分(創造の仕事はそうでなくてはできない)のわたしは、個人レッスンの機会を得たおかげでいろいろチャレンジさせていただくことができました。
①ぽれぽれダンス時に、お決まりだったスタジオに来るなりのトイレ直行が全くなくなりました。本当に行きたかったら行くと思い、行動のパターン化ではないかと日頃から感じていたので、ヘルパーさんの協力を得て(ヘルパー側がパターンを創らない)実践したところ、このパターンは無くなりました。
②比較的最近ですが、パンデミックを良い機会ととらえて、ハンドタッチをしないようにしてみました。こちらもヘルパーさんの協力が大きかったです。タッチをしようとしても、「いま、ダンスの時間だからね☆」といって最初はタッチに応えないようにしていただき、そのうちにタッチが必要なくなりました。
この二つだけでも、自閉症のパターン化というお決まりを覆した・・・つまりもっと可能性がある・・・と感じました。
いままでは、グループレッスンでしたし、ヘルパーさんのほとんどが(多分自分が彼たちを扱いやすくするために)、彼たちより先に彼たちのパターンをやってしまったり、促してしまうというケースをたくさん見てきました。とても違和感を感じたものです。ヘルパーさんの能力も大きいと思います。
例えグループレッスンや、職場での団体行動でも、一人一人の本質にほんのわずかでも目を向けてくれる職員がいれば可能だと思うのですが、日本の教育現場は障害者に限らずあらゆるところで、このシンプルな普通の行為が出来なくなっている(時間がない?)ようです。北欧に比べてとても遅れています。
«できるようになる≫ということが大事なのではなく、彼たちがすでに理解していて本当はできる(できている)ことを発見してあげるのが、こちらの仕事かと思います。
特にわたしが出会ったみんなは重度の方々で、言語を発することができないからです。でも、こちらの言っていることはすべて理解して、言葉だけで説明しても行動することが出来ます。わたしたちが彼たちの言語を間違わずに理解できることが大切です。それには身体言語を読み解く力が必要だと感じます。
継続は力なり・・・・しかし、継続だけではなく、大切なのは見る力です。
17年あっという間でしたが、これからもよろしくお願いいたします。
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