ワークショップでは出来なかったこと

音と身体については、以前はワークショップを行っていたが、今年からはLiveで行うことにした。
前回のLiveも思った以上に好評で驚いたが、今回はLatinのメタフィジカル性を紐解くというテーマなので、さらに期待が高まっている。

表現ということと伝えるということは、少し似ている。

では、ワークショップやレッスンは、伝えることと似ているのだろうか。

そんな疑問まで、前回のLiveの感触を受けて感じるようになった。

伝わると思って、伝えたくて、ワークショップやレッスンも表現と並行して40年近く行ってきたけれど、果たして上手くできていただろうか・・・・時折うれしいお便りも届くけれど。

伝えることについては、特にレッスンやワークショップでの伝授については、ほぼ毎日24時間といっていいほど、試行錯誤していた時があって、どのフォルムを使うか、どの言葉を使うか、兎に角考えに考えつくし、受講者をイメージし、レッスンの何時間も前から時には何日も前から準備をして、当日受け取って帰っていただけるように努力していた。障害者講座でも一般対象のワークでも子どもたちへのレッスンでも。老人施設での講座でも。レベルを下げたりするのではなく、言葉やフォルムを駆使して伝えていた。
それがプロの仕事だから、あたりまえのことではあるのだが。

こういった時に「思い」というのは何の役にも立たない。必要なのは、技法のみ。
どうやって伝えたらよいか・・・・

 

ここまで書いて、わたしの心の師匠もそういう悩みを抱いていたことを思い出した。

師だけではなく、尊敬している身体論の先駆者の本からにじみ出ていた苦悩?も思い出した。

あああああ、連鎖的にまったく他のジャンル・・・・自然農の開祖の本に涙した時のことも思い出した。
彼も無理解に苦しみそれでも必死に伝えていたな~。

 

でも!Liveにしてからは、そういった悩みが半減した。
その理由も、二回目のLiveを迎えるにあたって準備しているうちにわかってきた。

ああ。そうだったのか!そうだったんだ!!と。

是非是非楽しみにご参加ください☆

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