ベタなタイトルでお恥ずかしいですが、あえて。
踊り手としては、身体が感情に支配されてしまっている状況を多々みると残念で仕方がありません。。
人々は感情が好きです。そして、その感情を刺激する娯楽?は大ヒットします。習い事もそうかもしれませんね。
意図的にそうしていることもかなりありますね。アブナイアブナイ(笑)
踊りも感情移入することが当たり前という悲しい概念を背負わされている表現形態のひとつです。
演奏もそう思われている場合が多そう。
芝居も・・・っていうかやってる本人が感情移入こそ表現だと思っている場合があり・・・・・
わたしの体験からは、感情に支配されたら表現にはならないのではないかというのが確信ですね。
いかに感情を排除して、媒体としての身体を晒せるかというのが表現者の役割でしょう。
感情移入した表現は気持ち悪いです(爆!!!!)
感情は観客のもつ役割なんですからゆだねてあげましょう。自分の領域で全力を尽くすのが大切です。
わたしの踊りも「情念的」とか言われるときありますよ。批判?や嫉妬?の対象としてね。
自分の身体状況をしっかりつかんで踊っているわたしとしてはそれは見た人の「情念」であることは確かなんですけど。
そんな時は、「わたしの身体よ。よくやった。しっかり媒体として、または鏡として、舞台に立てたのだね。」と褒めてあげます。
若いときは確かに、感情=ダンスだと思っていたときもありました。(若気の至り・・・ゆるしてちょうだい)正直言って。
でも、あるとき気づいたんです。
なんて、恥ずかしいことをしていたのだろうと。
それからは、いっさい感情に流されることはありませんでした。踊っているときはね。まずはそこからでしょ。本業ですから(^^ゞ
さて、この感情を排除?した身体の崇高さを体感するとわかりますが、それはなにものにも得難い、静寂と充足と緊張と・・・ああ、なんて言ったらよいのか・・・やはり「透明」ですね。
だから、タイトルに「透明」ということばをよく使うのですね。
この言葉が今のところピッタリですね。
さて、この感情の排除も、ほかのこと同様、稽古によってクオリティをあげることができます。
やはり稽古っていうのは≪聖域≫です。
自主稽古ですよ。
稽古できないのなら、なるべく一人の時間を持ったほうが良いです。
まあ。この辺は長くなるので、そのうち伝言のとびらVOL.5に書こうと思います。
感情ってのは、すごくドラマチックなのかもしれませんね。だからみんな浸りたいのかも。
でも、身体の欠落した感情ってホントの感情なのかなって思います。
思考が感情のふりをすることが多々あるようなので、結局はいつの間にか洗脳されてしまった思考の産物であって、
本当の感情じゃないのでは?と。
身体の感情というのは、いわゆる思考感情・偽感情とはまったく質が違うので、体験すればすぐわかります。
ものすごく静かにヒタヒタとやってくるもので、でもわかるんです☆はっきりと♪
これも言葉での表現は難しいですが、瞑想なんてのと似てるかもしれませんが、
わたし自身は踊っているときがいつもいわゆる瞑想状態です。レッスンしながらでもそこにいます。
だから、数秒見ただけで、指摘できるんです。
武術家などもそうですが、「現場」がいちばん瞑想状態なわけで、わざわざ瞑想時間が要らないのですよね。
息抜きとか遊びにいくとかも、あまり必要ないです。なぜなら、この状態が最高の遊びでもあり、癒しでもあるからです。
引きこもりって結構いいことなんですよ(^^)v 内観の宝庫!
そして、非常にパワフル。無理をしないので疲れない。疲れってのは、ウソの感情が原因だとおもいます。
踊りっていいなって思うんです。表現形態自体に言葉がないから。
錯覚起こさなくてすみますよね。
言葉をあつかう達人はやはり、同じ境地にいるのだと思います。
一方、
言葉を普通に無自覚に話せるわたしたちは、日ごろは、言葉に対してヒドイ仕打ちをしてますよね。
これはヒドイことを言うとかそういう表面的なことではなくて、かなり無自覚に吐き出しているという意味です。
「やだー。」とか「うっそー。」「スゴイ。」とか「うれしいー。」とか、ときには「感謝。」とか「ありがとう。」だって悪用されてます。。
小さいときから人よりも?言葉と親友関係を結んできたわたしですが、どうも空気のように出回っているステレオ言葉たちには、惑わされるようで。(その言葉たちもかわいそうだけど)
今回伝えたかったのは、
感情を排除したほうが、もっとすてきな身体感覚に出会え、そこには想像もできないような、「何か」があるということです。
たくさんのひと・・・いえ、たくさんじゃなくてもいい・・・たまたま当ギャラリーへ来てしまった方には(^^ゞ、それだけは持ち帰ってほしいと思うばかりです。
この「何か」とは、ひとによって違うかもしれませんが質という意味では上質なもので、みなさんをとてもしあわせにしてくれると思います。本当の感情って言ってもいいかもしれません。いわゆる「感情」という言葉のイメージを誰もが既成概念で持っていると思うのですが、本当の感情は全く質が違います。
その手段として、ボーンメソッドを通した身体ワークやLATINを介した踊り
そして、表現としての実験の場を設けています。(宣伝ブログじゃありません 笑)
しかしながら、「感情」で塗りつぶした分厚い壁は、思った以上に硬いです。それはそう。内側からしか壊せないんですよ!
本当のところ。それを内観・・自分を見つめる・向き合う・探すなどなどっていうんです。
何度も言いますが「思考」ってのも感情のふりをしますんでやっかいですよ。お気をつけあそばせ(^_-)-☆
本当の「思考」や「感情」はステレオタイプな装いはしません。
どこかで聞いたような、それこそ内観していないような、言葉と動作がともなっていないような言葉は出てこないはずですから、それが口から出てきたときはチャンスです!(ヤッター\(^_^)/!!!!)
つまり、自分自身で自分を救うために、自分の口から出てきたのですよ~~~!!!!
その自分から生まれたチャンスを逃さないようにね!逃さないことを内観っていうんですよ~~~!!
ここに、少しだけ例を挙げときましょう。
「頭で考えるとわからない。」
「一生懸命やっている。」
「素質がないから。」
「わたしとはレベルがちがうから。」
「リズム感がないんです。」
「運動神経が鈍いから。」
「やっているけどできない。」
「・・・・つもりです。」
まだまだあります。
キリがありませんのでこれくらい。文字で見るとわかりますね?
言の葉の波動も低いし、どこかで聞いたことがるようなセリフ?(セリフならまだいいが)ですね。
身体で感じると、言葉は独り歩きしないので、
思考も身体から湧いてくるし、それこそ!感情も身体から湧いてきます。(ここまできたら、おめでとう!です。お祝いお祝い♪)
いわゆる「思考」や「感情」とは材質?が全く違うのでいちど体験するとわかると思います(^O^)
体験する機会は自分でいくらでも作れます。外に求めるより早いです。
お~~~~~っと!!!なら、当ギャラリーに通う必要もないのでは???
あら~~~。宣伝ブログというよりはむしろ・・・・(^^ゞ汗
きょうは、踊りに対する誤解?を解きたくて書いてみました(^^)v
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