先日の日曜日、第一回kana poreダンススタートしました♪
ATUSHIくんの、のびしろをたくさん発見できた充実の第一回でした。
今後も月一回日曜日の10時から行います。場所はボディワークギャラリー響。3名までです。
さて、少人数制どころではない少人数でばかり展開しているボディワークギャラリー響での活動ですが、
多人数で個々のびしろを見逃しながら、のびしろとは別の統一性を持たせていってしまうのと、
たったひとりととことん向き合って、のびしろを見つけていくのはどうちがうのでしょう。
ある程度の人数でも、数秒で個々ののびしろを見つけられる技術を持っているわたしでもこの個人セッションのような少人数制の質の高さは感じます。
先日のダンスワークDEEP MOVEMENTでもそうでしたね♪
そういえば・・・脱線しますが・・・
数秒で個々ののびしろを見つけられるのは特殊技能と最近思いました(^_-)-☆
これは≪潜在的なものを見ることしかしない≫訓練を長くしてきたからです。
ただ、≪潜在的なもの≫は≪顕在的なものに≫無意識にカバーされている場合が多いですが、それはいわゆる一般的な?方々で、
ぽれぽれの仲間などにはあまり見られません。
訓練しているので、カバーされて曇っていても見えますが、ご本人の自覚が遅いのと頑なに認めないのと(潜在能力の凄さを)で、時間がかかってしまいます。
個々ののびしろを発見するのも時に難しとは思いますが、実はそれだけではダメなんですね。
発見したのびしろをどういうモチーフを使ってダンスや動作に生かしていくかが経験と知恵と創造の技量を問われるところなんです。受講者とリレーションを組んでできれば、能率はいいのですが、日本人の場合、自分で考えることはしないので、問題意識も薄くどうしても受け身ですから、引き出す側の技量だけに頼らねばなりません。
それはあまりいいことではない。このこと自体を改善したいけれど。
「どうしたらいいですか。」と聞かれてしまうと、先に進めません。以前はついつい答えてしまいましたが、最近はなるべく答えないようにはしていますが、それでもついつい誘導されっちゃったりして(^^ゞ
表現者の道を選ぶか、この技術をもっと開花させていくかをじっくり考えないとと思っています。
いずれにしても≪潜在的なもの≫を引き出す(またはくすぐる、時にかき乱す(^^ゞ)媒体の身の上ですから。
でも、両立はしんどいです(;’∀’)
なくてもいいのかもという選択肢もあります。
世界平和を願うものとしては、いまのずさんな感じが理解不能でして。。。
また横道それますが(もはやタイトルから大幅に?・・・いえいえ含まれています)
世界平和ってのは、個々の幸せの塊だと思うのです。
個が幸せな方の幸せは、周りを幸せにします。
自慢とかのための幸せ(見栄)じゃないヤツです。
足りてても幸せじゃない(つまり優越感でしか喜びを感じない)のは、魂的には辛そうですが、顕在的にはそうでもないのか。。。。。
まだ後者のほうが多そうですが、前者もかなりいらっしゃいます。
そうでなくっちゃね!
ってことで、kana poreダンスもよろしくです。
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