あれよあれよと4月になってしまった!たいして忙しいわけでもないのに、あっという間だった。3月は妙に長い感じがしていたのだけどな~(笑)
3月もなんとなく不思議な月だった。覚えているのだけ書いてみよう。
3月初めは2月末に路地テアトロ初の実験公演を終えて、しばらくはそのことのまとめ?で追われていたように記憶する。
加速?し始めたのは3月半ばからかな~。
素敵なミーティングがかわぎりだったような・・・・
その数日後、障がい者福祉センターイベントでのぽれぽれダンスでいろいろな人を巻き込めて、10年携わってきたなかで、いちばん手ごたえがあったことに興奮冷めやらぬうちに、その足で故郷足利へ。ひびきソロ作品「リアリティ・マイノリティ・パーソナリティ」を足利のカフェ杏奴で再演することになっていたから。
この作品・・・・これで、3回目。こんなに頻繁に同じ作品を踊るのはめずらしいので、やっと残せるようなものが創れてきたのかと、15年の舞台芸術歴を振り返る。
空間が変わると同じ作品でも新作のような感覚になるのは以前からだったけど、それでも何かが妙にあたらしくて、「もう一度やってもいいかな」ナンテ思っていたら、この4月に行う運びとなった。(路地スケジュールご覧ください)
足利公演を終えてまもなく、2月に見た芝居をどうしてももう一度見たかったので、無理をお願いして甲府まで観に行ってきた。行って良かった。またまたいろいろ〈表現〉に対する考えが深まった。
で!ここからが渦のごとく加速とシンクロが重複して通り過ぎたので、なんかてんやわんやな気持ちになってしまったのだが・・・・
足利公演からちょうど一週間後、数年ぶりに大野一雄舞踏研究所をたずねた。この布石は2月の半ばに知人の計らいでご自宅を訪ねたことがきっかけなのだけど。
ブラジルから大野先生に縁の深い方がちょうど来日していることを知りお誘いした。
そして、わたしは最近一緒に活動をしているラッパさんを大野先生に紹介した。
ブラジルからいらした方は、大野先生ともラッパさんとも縁が深かったのだが、わたしはこの日初めてお会いした。名前もお顔も存じ上げていたけどお会いするのは初めてだった。
大野先生はちょうど稽古日で、そこを訪ねることになっていたので、稽古中ラッパを吹いてくださいということになっていた。
一週間後、ラッパさんこと路地テアトロ音楽監督神代充史の初めてのソロライヴが行われた。
この日ご来場の方々もブラジルと縁のある方が、かなり集まった。まるで、申し合せたように。偶然。
その翌日、わたしは再び故郷足利で、このところご縁のある脚本家の本で地元のシニア劇団が芝居をやるというので見に行った。わたしが2月東京で、そして3月甲府で見た芝居の脚本を書いた人の別な作品だ。これまた偶然過ぎるっ。
そんな偶然と必然をこなしているうちに、数か月前から水面下で予定が決まっていたあるイベントが、これまたブラジルと深い縁があり来日中のその方もこのイベントに参加する運びとなったことは言うまでもない。まるでお膳立てされていたような流れ(このイベントはホントにすごかった)だったけど、このために来日したわけではなかったので驚きだ。
イベント当日、ぽれぽれバスツアーの訪問先の農場と縁の深い女性がブラジルにも頻繁に行っていたのだが、その彼女に2年ぶりに会った!
そもそも彼女との出会いも、まわりの人が驚くほどの偶然の積み重ねで、ブラジルと日本で話題が行き来していたのだ。この日も当然話題となった。
このブラジルを取り巻く不思議な流れは、もうしばらく続きそうだけど、わたし自身はまだ一度もブラジルに行ったことがないわけで奇妙で仕方がない(笑)
そんなこんなしているうちに、4月2日だねもう。
4月は4月の風が吹くのだろう☆
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