一回目の稽古で行き詰っていたことが、二回目の稽古で未知が見えてきて、三回目の稽古で生まれ変わった。
あたりまえのことだけど、稽古ってばやっぱりスゴイ。
そして、行き詰ると誰かに助けてほしくなるのだけど、結局はそうしないほうが道が見えてくる。
この孤独の期間を乗り越えれば、自分自身の発想も豊かになる。ちょっと寂しいけど、それがスジだ。そして、寂しさはつかの間のそれこそ魔の(笑)錯覚だったと気づく。
安易に情報を仕入れられる時代になって、こういう発見をする機会が失せていそうですね。便利と裏腹の喪失。
答えよりプロセスに知りたかったことは存在している。目的を持つから結果を答えを求めちゃうんじゃないのでしょうか。わたしは無目的です。
さてこのところ、読書にハマる日々でもあります。定期的にやってくる本に憑りつかれる日々。稽古と読書。身体と空想が一体化してしまう。
これが結構ユニークで(‘◇’)ゞ
あたしの性分なんでしょうか。もうその世界にどっぷり行ってしまいます。現実までもがその世界を織りなしていき、何がいまなのかわからなくなるほど。
文学というものは、人類の予言書でもあり、真理の言及でもあります。物語はフィクションの様でそうでもない。
芸術家は科学者よりも先にキャッチしているというのは、本当ですな。
しかしそれを読んだ人が自分自身を豊かに出来るように、抽象的にまたは比喩を持って(時々はダイレクトに)伝えてますね。
自信の能力を削がないように・・・・
文学おそるべし。
そして、わたしの身体はいま、次の構想そのまた次の構想そして今度の構想を旅しています。ごっちゃごちゃに散らかってる部屋みたいな感じ(^_-)-☆
そのうち自然に片付く。
ではでは
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